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2015年8月15日 (土)

夜と晩(その4)

お日さまの運行には周期がある。

日が昇り、日が沈み、また日が昇るまでをわたしたちは「一日」という。
ことばはお日さまの動きに従ってその一日をさらに切り分けてきた。
なかなかに味わい深い切り分け方をしてきたことは、これまでにお話しした通りだ。

その一日を積み重ねていくと、一年というもう一回り大きな周期を経験することになる。
この周期は春夏秋冬という四つの季節をひとめぐりして完結する。

春夏秋冬はことばによる1年の切り分け方だけれども、もちろんそんなおおざっぱな切り分け方で済むはずのないことは、これまた少し前にお話しした通りだ。

この際、1日と1年という二つの周期を重ね合わせてみたい。

一日の気温変化のグラフを見ると、昼の2時頃にピークが来て、明け方に底が来る。
1年の気温変化のグラフを見ると、盛夏にピークが来て、大寒のころに底が来る。

ピークと底に対しては、「真=ま」という接頭辞がくっつく。
「真=ま」はものごとが究極にあることを示す。

だから、真夏と言い真冬と言う。
真昼と言い、真夜中という。

真春や真秋と言わないように、真朝や真晩とは言わない。

春や秋と同様、朝や晩はピークと底の間の移行期とみなされているのだ。

同じ移行期だけれど、朝は春に、夕方や晩は秋に対応している。
気温変化のグラフが底からピークへ向かう途上が、一日でいえば朝であり一年でいえば春である。
そしてピークから底へ向かう移行期が、一日でいえば夕方であり一年でいえば秋に当たる。

人間の生理的実感として、朝は春に、夕方は秋に重ねあわされている。
だから、清少納言は「春はあけぼの…」と述懐したのだし、三木露風は「夕焼け小焼けの赤とんぼ…」とうたったのだ。

そして昼に夏を、夜に冬を重ね合わせて生きている。

そう考えれば、これまで「晩」を「夜」の一部としてはんぱもの扱いしてきたのはまちがいだったのかもしれない。
「晩」を「夜」から独立させて、春夏秋冬と同じように朝昼晩夜と一日を4分割するほうがふさわしい気もする。

これまで。「晩」は「夜」に対して何となく頭が上がらないところがあった。
「夜」は確固としたイメージを喚起するけれども、「晩」は中途半端なイメージがあった。
だから、前回もお話ししたように文学の世界では「夜」のほうが幅を利かせていたのだった。

晴れて「夜」から独立し、りっぱに一日の一角を占めることになった「晩」は感激しているだろうか。

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