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2015年8月22日 (土)

「ひる」と「よる」

太陽のことを「おひさま」という。
もちろん語幹は「ひ」である。

その太陽の実体は「ひのたま」である。
その巨大な「ひのたま」から地球に向かって「ひかり」が降り注いでいる。

自転をしている地球が太陽に向き合う時間、わたしたちはその「ひかり」を浴びている。
「ひかり」を浴びている時間を「ひる」という。

日、火、光、昼…。
これらの概念は、「ひ」という音を通じてつながっている。

ことばとそれが指し示す対象、概念との関係は恣意的。
というのがソシュールのテーゼだけれど、ことばを構成している音と意味との関係はそんな無味乾燥のものじゃないような気がする。
そこにはわたしたちには見えないかくされた深遠な関係がありそうな…。

さて、むかし日本列島に住んでいた人々は、男は「ヒコ」といい女は「ヒメ」といった。

神武天皇の名は「カムヤマトイワレヒコ」だし、神功皇后は「オキナガタラシヒメ」といった。
佐藤さとるさんの「だれも知らない小さな国」に登場するコロボックルは、男は「ヒイラギノヒコ」だし女は「ハギノヒメ」だった。

要するに男女とも「ヒ」のこどもたちなのだ。
地球上の生命の源泉が太陽であることを考えると、この認識は科学的にも正しい。

日、火、光、昼における「ひ」の音は、生命そのものをあらわしていると考えていい。

ところが、自転をしている地球が太陽に背を向ける時間になると…。

「ひ」が傾き「ひかり」が衰え、「ひる」に代わって「ゆうべ」や「よい」が迫ってくる。
さらに時間が経つと、「やみ」が広がり「よる」になる。
「よる」になるとひとびとは「ゆめ」を見る。

そして人々は夜になるとなぜかあの世を連想する。
そういえば、「黄泉=よみ」の国も光乏しく暗欝なところである。

夜は「や」行音の世界である。
「ひ」の音はかげをひそめ、代わって「や」行音たちが跳梁をはじめる。

「ひ」に象徴される世界が明晰で向日的なのに対して、や行音の世界にはなにやら妖しげな雰囲気が漂っている。

少し前に「や」行音と母音との親和性について触れたことがあった。
「や」行音は母音であるようなないようなあいまいな性格を備えている。

どうも一筋縄ではいかない相手である。
用心しなければ。

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