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2015年7月20日 (月)

夜と晩

前回もお話したように、「早」という語は「春」に対してだけしか用いられない。
「盛」という文字は「夏」に対してだけしか用いられない。

逆に「たけなわ」という和語は「春」と「秋」にしかくっつかない。

わたしたち日本語話者はことのほか季節感に敏感だ。
だから、その季節感がそれぞれの語の持つ語感と調和しているかどうか、チェックを怠ることがない。

その結果が今日行われている使い分けなのだ。

ところでそれぞれの語が季節に応じて微妙に制約を受けているのに対して、「晩」という語は春夏秋冬どの季節にも適合する。

「晩秋」が一番よく使われるけれども、「晩夏」や「晩冬」もおかしくない。
「晩春」は小津安二郎の映画のタイトルにもなった。
原節子が出ていたなあ。

意味としては一定の幅を持つ期間の終わりのほうを指すようだ。
価値中立的な語である。
「早」や「盛」のように余計な意味やニュアンスを背負っていない分、春夏秋冬はじめさまざまな分野のことばに抵抗なく結合できるのかもしれない。

だから、夏の終りのほうを「晩夏」と言い、人生の終わりのほうを「晩年」と言ったりする。
結婚適齢期の終りのほうでやっと結婚するのを「晩婚」という。
長い長い縄文時代の終りのほうは「縄文晩期」になる。

まぎらわしいのは「晩期」のほかに「末期」という熟語があることだ。

梅雨という雨期の終りのほうは、「梅雨晩期」とは言わず「梅雨末期」という言い方をする。

どう違うのだろう?

辞書によっては、「末期」と同じ意味として扱っているものもあるが、私の語感としては若干違うような気がする。
「末期」はいよいよ終末が迫っている感じがするけれども、「晩期」といえばそこまでせっぱつまっておらず若干のゆとり感が漂っているように思う。

みなさんの語感ではどうだろうか?

一日24時間という期間をとっても、「晩」という語があてはめられる。

24時間ではあるが、人間の生理的実感としては朝目覚めてから夜眠りにつくまでが一日だろう。
平均的には午前6時ごろから午後10時ごろまで、といったところだろうか?

その一日を基本的に「朝昼晩」と3分割する。
昼と晩の間に「夕方」と言う時期もあるけれど、これは一種の過渡期とみなされて一人前の区分としては扱われていない。

ここでもまぎらわしいのは、「晩」のほかに「夜」ということばがあることだ。
さて、「晩」と「夜」はどう違うのだろう?

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