« 夜と晩 | トップページ | 夜と晩(その3) »

2015年7月31日 (金)

夜と晩(その2)

「夜」と「晩」はどう違うのか?
これが前回の宿題だった。

まずは権威ある辞書に頼ってみよう。

広辞苑や新明解の説明を総合すると、一日のうちでお日さまが隠れている期間を「夜」ということのようだ。
そして、「夜」のうち人々がまだ起きて活動している時間帯を「晩」という。

なるほど。

だから、日が暮れてからのあいさつは「こんばんは」といい、「こんやは」とは言わないのか。
だから、日が暮れてからの食事は「晩ごはん」といい、「夜ごはん」とは言わないのか。

「夜食」ということばもあるが、これは「晩ごはん」がすんだあと人が通常寝ている時間にもがんばって仕事や受験勉強をしている人が食べるものだ。

この定義に従うなら、「晩」の対称語は「朝」である。
そして、「夜」の対称語は「昼」である。

だから、「朝晩」とは言っても「朝夜」とは言わない。
「昼夜」とは言っても「昼晩」とは言わない。

同じ「昼」でも、「昼夜」における「昼」と「朝昼晩」における「昼」とは意味が違う。

一日を物理的に2分割するなら、お日さまが出ている時間帯が「昼」であり、お日さまが隠れている時間帯が「夜」である。
だから、「昼夜」ということばで一日を完全にカバーすることができる。
実にすっきりしている。

「朝昼晩」というのは、一日のうち人間が活動している期間をその生理的実感にもとづいて3分割したものだ。
だから物理的にすっきり割り切ることはむずかしい。

どこまでが「朝」でどこからが「昼」なのかはっきりした境界はない。
また、「昼」とも言えずかといって「晩」とも言えない時間帯も存在する。

お日さまの運行に従って、「朝」がいつの間にか「昼」になり、「昼下がり」を経て「夕方」を迎えやがて「晩」になる。
というのが、人々の生理的実感にもとづいた一日の時間感覚なのだろう。

真昼、南中したお日さまが少しずつ高度を下げていく時間帯を「昼下がり」とはうまく表現したものだ。
前回、「闌ける」という古い動詞を持ち出したけれど、夏が「闌ける」ように昼も「闌ける」のだ。
夏も昼も、闌けるとけだるい雰囲気が漂ってくる。

さらにお日さまの運行が進んで、もう昼下がりとも言えないような時間帯になると今度は「夕方」の領域である。

お日さまの高度も光度もさらに落ちてきて、薄暗くなってくる。
人の顔も見分けがつきにくくなるので、「誰ぞ彼?」と言ったり「彼は誰?」と言ったりするようになる。
こうして「たそがれ」や「かわたれ」という趣のある和語が生まれる。

「ゆうべ」や「たそがれ」はまだお日さまがかろうじて空に残っている時間帯を言うのだろうか?
それとも、日没は過ぎたけれど余光がまだ残っているときにも使えるのだろうか?

まぎらわしいのは、このほかに「宵」という語があることだ。
辞書によれば、日没から間もないころを指すとのことだ。
「宵の口」というしゃれた表現もあって、これまた辞書によると日没から間もないころを指すとのこと。

ならば、「宵」と「宵の口」はどう違う?
「たそがれ」や「夕方」や「晩」とどう区別する?

たとえば一日の終りにいただく食事のことを、「晩ごはん」とも言うし「夕食」とも言う。
食事の点では「晩」と「夕」の区別はないようだ。

何だかややこしくなってきたけれど、もう「夜」も更けてきたので今日のお話はこれでおしまい。

|

« 夜と晩 | トップページ | 夜と晩(その3) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 夜と晩 | トップページ | 夜と晩(その3) »