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2015年7月12日 (日)

季節とことば(その2)

前回の終わりのほうで、「たけなわ」という和語が登場した。

辞書によると、「たけなわ」とは「比較的短い期間しか続かない状態について、ピーク時にあること」と出ている。
たしかにニュースなどで使われる「春たけなわ」、「秋たけなわ」という表現はせいぜい2週間程度が賞味期限かもしれない。

宴会では、幹事がいよいよこれからという時に「宴たけなわではございますが、このへんで中締めに…」と言ったりする。
たけなわの期間は短くはかないのだ。

「たけなわ」は「たける」という動詞の派生語だと思う。
「たける」は漢字表記では「闌ける」とむずかしく書く。
若い人ならこんな動詞そのものを知らないに違いない。

もはや死語同然だけれど、「夏が闌ける」などと言ったりする。
最盛期を少し過ぎたあたりを指して言う。
地蔵盆も過ぎ夏休みの宿題が気になりだしたころ、夏はたけてくる。

これもまたことばづかいの微妙なところだけれど、「秋が闌ける」とは言わない。
同じことを「秋が深まる」という。

木々が色づき、山野が静まり、木枯らしも吹き始めようかという時期、「秋が深まる」という表現がぴったりだ。
秋が深まるころ、洛北の村里を散策するのは心にしみる。

秋深し 隣はなにを する人ぞ

という俳句もある。

「深い」の反対語「浅い」は春に対して用いられる。
「春まだ浅い今日このごろ、いかがお過ごしでいらっしゃいますか…」と、3月初めごろ知人にあてた手紙を書き始める。

「深い」、「浅い」という空間のありようをあらわす形容詞が季節という時間現象に対して転用されるところが面白い。

少し前にもお話ししたように、時間現象はわたしたちの五感では感知できない。
経験的に、意識の中でそれが「ある」と仮定するしかないしろものだ。

だから、時間現象を直接指し示す固有のことばは存在しない。
しかたがないから、どこかからありあわせのことばを持ってきて転用するしかない。

苦しまぎれの転用にしては、「春」と「浅い」、「秋」と「深い」ということばは何としっくり結びつくことだろう!

「春まだ浅い今日このごろ…」と手紙を書き始める人も、「秋もすっかり深まりまして…」とあいさつする人も、その時頭に気温変化のグラフを思い描いているわけではないと思う。

ほとんど無意識のうちに使っている。
私が知りたいのは、無意識のうちにそのような表現が生まれるそのメカニズムだ。

いつ、どこのどなたさまが「春」と「浅い」、「秋」と「深い」ということばを結びつけたのかは誰にもわからない。
しかし、この表現が定着し人口に膾炙するようになったのは、ひとえにわたしたちの生理的実感に適合していたからだろう。

流れもしないセーヌ川について「川が流れる」という表現が許されるようになったのと同じメカニズムだ。

「川が流れる」という表現は異なる言語圏を超えた人類の普遍的な生理的実感に支えられている。
だから、ミラボー橋の上からセーヌ川を見下ろしたとき、自然に「川が流れる」という表現が湧き上がってくるのだ。

さて、「春浅く」、「秋深し」という表現はどこまで普遍的だろうか?
ポルトガル語では、トルコ語では、バスク語では、フランス語では、同じ意味をどのようなことばで表現しているのだろう?

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