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2015年7月 3日 (金)

季節とことば

しばらくの間、私は「ミラボー橋」に聞き惚れていた。
そして、無常感に浸っていた。

それは季節で言えば、晩春から初夏を経て、梅雨のはじまりの頃のことだった。
私の無常の想いと歩調を合わせるように、季節もまた歩みを進めていく。

日本列島は世界の中でも季節の移り変わりがあざやかな土地柄である。
永久不変のものなど何もないという無常観が発達したのも、こうした風土のなせるわざにちがいない。

当然、季節をあらわすことばも発達する。
ことばは季節をこまやかに繊細に切り分けてゆく。

ただ「夏」があるだけじゃない。
さわやかな「初夏」があり、梅雨を経て入道雲が白く輝く「盛夏」があり、地蔵盆のころには「晩夏」となる。

ただ、その切り分け方が季節によって微妙に異なるところが面白い。

たとえば、「盛」の語は夏にしか用いられない。
「盛春」とも「盛秋」とも「盛冬」とも言わない。
入道雲がむくむくと盛り上がるさまが、真夏のイメージにぴったりだからだろうか?

たとえば、「初夏」に対応して「初秋」、「初冬」ということばがある。
いずれもその季節の初めのころを指している。

しかし、「初春」という語はどうだろう?
このことばは「新春」と同じく、正月を指しているのではないか?
初春のあと、寒さはますます厳しくなる。

「初夏」、「初秋」、「初冬」に対応する語としては「早春」ということばが用いられる。
逆にこの「早」という語は、他の季節には用いられない。
冬の厳しい寒さの中、「早く春が来てほしい」という切実な願いが「早」という文字を選ばせたのだろうか?
「早春賦」という美しい唱歌もある。

「盛夏」に対応して冬のもっとも寒さが厳しい時期を「厳冬」と呼ぶ。

年間の気温の変化をグラフにすると、盛夏のころにピークがある。
グラフが盛り上がってピークをも変えるころを「盛夏」と表現するのはなるほどと納得する。
グラフが底を打つ時期を「盛冬」とはたしかに呼びにくい。

底を打った気温が上昇に転じてピークに向かう移行期を「春」という。
そしてピークを過ぎてふたたび底に向かう移行期を「秋」という。

どちらも移行期だから「真」という語が使えない。
「真夏」、「真冬」はいいが、「真春」、「真秋」は不可である。

「真」のかわりに「たけなわ」という語が用意されている。

4月の中頃からゴールデンウィークにかけてを「春たけなわ」という。
10月の中頃からシルバーウィークにかけてを「秋たけなわ」という。
行楽シーズンを報じるニュースなどでこの語がよく用いられる。

辞書によれば、「たけなわ」は「物事の一番の盛り」とある。
それにしては、盛夏のころを「夏たけなわ」とは言わないし、厳冬のころを「冬たけなわ」とも言わない。

「たけなわ」の語感が夏や冬にそぐわないのだろうか?

季節をめぐることばづかいはまことに興味深い。
他の言語圏ではこの点どうなっているのだろう?
その比較論もおもしろそうだ。

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