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2015年6月21日 (日)

「ゆ」と「い」

前回は芭蕉の惜春の句を味わった。
この春、みなさんも「ゆく春」を惜しんだだろうか?

ところで、「ゆく」という動詞は今いるところからどこか別の場所へ移動する行為を意味している。
人間は移動する生き物だから、「ゆく」という語はもっとも基本的な動詞ということになる。

だから、語の形態もシンプルである。
この点は、英語の「go」でも同じことだ。
おそらく世界の諸語でも、「ゆく」に相当する動詞はシンプルな形をしているに違いない。

基本的な動詞であるだけに、意味も広い範囲をカバーする。
「ゆく」先が有馬温泉なら「行く」になるし、あの世なら「逝く」になる、という風に。

形態がシンプルな語は発音もシンプルである。
ただし、基本的な語であるだけにバリエーションもおこりやすいという事情がある。

実はみなさんも知ってのとおり、「行く」は「ゆく」とも発音するし、「いく」とも発音する。
わたしたちも、日常会話の中で「ゆく」と言ったり「いく」と言ったりしている。

「スーパーへ行く」の場合は「いく」と発音することが多いと思う。
「行く末が心配だ」の場合は「ゆく」と発音することが多いと思う。
では、「納得が行く」の場合は、「いく」か「ゆく」か?

発音は「ゆ」と「い」の間を揺れ動いてなかなか定まらない。

一体「ゆ」と「い」はどう違うのか?
何か使い分けの基準があるのだろうか?

新明解は、「いく」について「ゆく」の口語形とあっさり片付けているけれども、それでいいのだろうか?
口語ならすべて「いく」というわけでもあるまい。

広辞苑には、「いく」は奈良・平安時代から「ゆく」と併存しており、古代は「ゆく」が優勢、とある。
ということは、「ゆ」のほうが由緒正しく、「い」は新参者ということだろうか?

そう結論付けるのにためらいを感じるのは、別の例が思い浮かぶからだ。
たとえば、「言う」という動詞はどうだろう?

「言う」は表記としては「いう」を用いるけれども、実際の発音はほとんど「ゆう」ではないだろうか?
「こういう例は…」と書いても、発音は「こうゆう例は…」となっている。
新明解には、「ゆう」について「いうの発音に近い表記」とある。

このケースでは、「い」があくまでも正式であり「ゆ」はくだけた口語的発音という扱いになっている。

「ゆ」と「い」の間で、日本語話者は揺れている。

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