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2015年4月12日 (日)

「じょう」と「ば」(その2)

漢語でもあり混種語でもあるという例はさしあたり「工場」しか思いつかない。
語彙の乏しい私は、前回の最後に恥をしのんで他の例を教えてくださいとみなさんに呼びかけた。

実はそのすぐ後でもうひとつの例を思いついた。

たとえば「現場」なんてのはどうだろう?
ふつうは「げんば」と読むけれど、テレビでは刑事さんが「おい、ちゃんとげんじょうを保存しておけよ」と言っている。

「現場=げんば」は「工場=こうば」と同じで混種語、重箱読みである。
「現場=げんじょう」は「工場=こうじょう」と同じで漢語である。

日常会話では「現場=げんば」が圧倒的に多いけれど、「現場=げんじょう」もちゃんと辞書に載っている。

前回お話ししたように、「こうじょう」と「こうば」ではニュアンスに違いがある。
「工場」においては「じょう」のほうが「ば」よりも大規模で本格的な生産設備のイメージがあった。

辞書を見る限り、「げんば」と「げんじょう」は意味に違いはない。
それでも、「じょう」のほうが「ば」よりも専門用語的でいかめしい雰囲気を感じる。
やはり漢語効果だろうか?
権威を大切にする警察関係の人たちが漢語読みのほうを好むのも分かる気がする。

混種語ではないけれど、「市場」も漢字表記だけでは読みが確定しない。
「しじょう」という漢語であり、「いちば」という和語でもある。

「市場」は物やサービスが交換され、売買される空間をいう。
具体的な「場所」のみならず、抽象的な「場」にまでその意味は広がる。

「いちば」と和語で読めば、魚や野菜が実際に売り買いされる場面を思い浮かべる。
「しじょう」と漢語で読めば、抽象的なデータ、たとえば株の値動きを示すグラフなどが思い浮かぶ。

和語と漢語の意味作用の違いにいまさらながら納得する。

「場」をめぐってあれこれ語彙を思い浮かべてみると、日本語話者の「場=ば」への執着が意外に強いことがわかる。

考えてみれば、「場」はものごとが生起するところ、存在するところを意味する。
つまり、「場」がなければそもそもわたしたちは存在することすらできないのだ。

「場」はもっとも根源的な語のひとつかもしれない。
だから、わたしたちは「場=じょう」という外来の字音で片づけることはできないのだ。
「場=ば」という親しみ深い訓読みでなければ…。

それゆえ、字音読みの勢力圏でもけなげに訓読みの孤塁を守っている。
たとえば、修羅場、鉄火場、正念場、土壇場、愁嘆場などのように。

よく使う日常語なら、場所、場面、場合、本場、相場などのように。
むずかしい漢語が幅を利かせている物理学の世界でも、「磁場=じば」や「場(ば)の量子論」などと言ったりする。
少し前に提唱した自家製術語を使うなら「ば」は「め」と同じく和語強度が強いのだ。

「ば」はわたしたち日本語話者に密着した根源的な語である。
広辞苑で教えられたことだけれど、この「ば」は「庭=には」の転訛だという。

たしかに、「蛍の光」に出てくる「学びの庭にもはや幾歳…」における「庭」は「場」を意味している。
つまり、今日わたしたちは「庭」を「ガーデン」の意味でしか使わないけれど、本来は「フィールド」のように広く深い意味を持っていたのだ。

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