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2015年3月22日 (日)

「目」と「心」

前回は「和語強度」という目新しい術語が登場した。

漢字2文字の熟語について、一方の文字の和語強度が高い場合、純然たる漢語ではなく混種語になることが多い。

だから、「時計」や「目線」は「湯桶読み」になる。
また、「台所」や「番組」は「重箱読み」になる。

「目線」における「目」、「台所」における「所」、「番組」における「組」はいずれも和語強度が高いのだ。

それにしても「湯桶」といい「重箱」といい、いかにも古めかしい。
若い人は知らないかもしれない。

これからは、「湯桶読み」でなく「目線読み」に言い換えてはどうか。
「重箱読み」でなく「番組読み」に変えてはどうか。
古めかしい表現よりもよほどわかりやすいと思うが、あまりにも業界寄りが過ぎるだろうか?

それはさておき、手や足、口や鼻、耳、目、頭など人体の諸器官はわたしたちにとって身近なことこの上ない。
だから、それらを指す必要不可欠な固有語が文字誕生のはるか以前からあった。

日本語話者の場合、それらは「て」であり「あし」であり「め」だった。

かくして漢字伝来の際、「目=もく」という文字には「め」という和語があてられ、「目=め」という字と音の結びつきは神聖不可侵になった。

神聖不可侵であるからこそ、たとえ2文字が結合しても「線=せん」という字音に引きずられることなく「目=め」という訓読みが維持されたのだ。

同じ人体器官であっても、心臓の場合はちょっと事情が異なる。
自分のものでありながら、見ることもさわることもできない。
解剖学の知見に頼らなくては、その存在すら確かめられない。

つまり同じ人体器官でも「目」のように具体的な存在でなく、抽象的なのだ。
したがって、その和語強度は「目」に比べてかなり低くなる。

だから他の漢字と結合して熟語を構成する際、その文字が字音であるならたやすくそれに引きずられる。
たとえば、「核心」、「中心」、「心配」、「心音」などのように。

「心」にも「こころ」というりっぱな訓読みがある。
しかし、他の文字と結合しても「こころ」と読まれるのは、「恋心」など他の文字のほうも訓読みの場合に限られる。

「目」と「心」の違いについて、和語強度理論を援用すればなんとなく腑に落ちる気がする。

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