« 漢字の未来 | トップページ | 「目」と「心」 »

2015年3月15日 (日)

視線と目線

漢字は2文字が結合して熟語を作ることが多い。

前回登場した「信」や「光」などを例にとれば、信頼、送信、光線、月光などがすぐに思い浮かぶ。
その場合、たいていは字音つまり音読みで発音される。
由緒正しい漢語である。

しかし、中には音読みと訓読みがごっちゃになった語もある。
漢語に対して混種語というのだそうだ。

たとえば「視線」はどちらも音読みだから漢語である。

しかし、よく似た意味の「目線」という語もある。
「カメラ目線」とか「上から目線」と言ったりする。

私の感覚では昔からある筋目正しい語ではなく、比較的最近よく用いられるようになってきたように思う。
テレビ業界あたりから成り上がってきたように思う。

みなさんご承知の通り、読みは「もくせん」ではなく「めせん」である。
訓読みの文字と音読みの文字が結合している。
いわゆる「湯桶読み」である。

視線と目線、意味はまったく同じだろうか?

「俗に視線の意でも用いられるが、目線は目の動きに応じて顔も動かす点が異なる」
「新明解」にはそんな解説が出ているが、信じていいものだろうか?

ともあれ、「目線」はなぜ「もくせん」でなく「めせん」なのだろう?

「目」には「もく」というりっぱな字音がある。
それを用いて「目標」や「種目」といったよく使われる漢語もある。

ただ、「目標」や「種目」における「目」と「目線」における「目」とは意味の位相が微妙に異なると思う。

前者の「目」は抽象的な「目」である。
これに対して後者の「目」は、なまの視覚器官、とても大切な体の一部を指している。

抽象的な事物は漢語で、具体的な事物は和語であらわす、という和漢の役割分担原則に照らせば、後者の「目」は「め」と発音されなければならない。

つまり、「目線」における「目」は和語強度が大変に高いのだ。

以前、「時計」と「時間」を比べて問うてみたことがった。
なぜ、「時計」は「じけい」ではなく「とけい」なのかと。

そのときは、「とき」という和語があまりにも日本語話者に密着していたために、「計=けい」という音読みに引きずられることなく「と」という和語の音が生き残った、という結論に落ち着いた。

この場合も「目線」の「目」と同じく和語強度がものを言ったのだ。

今回は「和語強度」という耳慣れない術語が登場した。
たったいま、私が造語した術語だから目新しいのも無理はない。

|

« 漢字の未来 | トップページ | 「目」と「心」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 漢字の未来 | トップページ | 「目」と「心」 »