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2015年3月28日 (土)

「目」と「め」

犬が嗅覚の動物であるのに対して、人間は視覚の動物である。

という対比は、人間の特性に言及する際よく用いられる。
つまり目は人体諸器官のなかでも、人間の特性に直結した特別重要な器官なのだ。

だから語としての「目=め」も、実によく用いられる。

さまざまな場面で用いられ、比喩的、慣用的表現も数知れない。
だから、その例をあらためて持ち出すまでもない。

ただ、つまらぬことが気になる。
それは接尾辞としてはたらく場合だ。

たとえば、
「ああ、舞子駅なら二つ目の信号を右に曲がってすぐですよ」
「政府は景気回復の3本目の矢として…」
など、物事の順番をあらわす場合。

あるいは、
「あの人はとても控え目な方ですね」
「私は薄目の味付けが好みです」
など、人や事物の特性、傾向をあらわす場合。

たしかに、表記としては「目」を用い発音としては「め」になるのだが…。

気になるのは、この場合の「目=め」は、本来の「目」の意味から派生、転用されたものなのか、それとも語としての出自来歴はまったく異なるのだけれど、たまたま音が一致し文字が借用されたものなのか、ということである。

最初の例は、ある継続する事物、現象における結節点あるいはポイントを意味すると思う。
つまり「節目=ふしめ」であるし、視覚的に表現すると「目印=めじるし」である。
したがって、それが時系列的にいくつもあれば、結果として順番、順序をあらわすことになる。
こじつけて言うなら、この場合の「目=め」は数理的概念ではないか?

それに対して後者の例は、人や事物の性質に関心が向かっている。
あえて言うなら、この場合の「目=め」は人文的概念ではないか?

お話が煩わしくなるのを承知でもう少し例をあげてみよう。

最初の例、数理的概念の「目=め」に付け加えるものとして、
「季節の変わり目には健康管理が大切です」

後者の例、人文的概念の「目=め」に付け加えるものとして、
「あいつもずいぶん落ち目になったものだ」

同じ接尾辞としての「目=め」でも、その機能はずいぶん異なるように思う。

そこで最初の疑問に戻る。
あらためて接尾辞としての「目=め」は、人体器官の意味を持つ「目=め」と関係があるのかないのか?

もし接尾辞としての「目=め」が、本来の「目=め」からの派生、あるいは転用であるのならそのプロセスが明らかになっていなければならない。

いくら「目=め」が極めつきの基礎語でいたるところに滲出可能であるとしても、一切の経過抜きで接尾辞にまで関係が及んだと結論付けることはできない。

私は学問にうといので、このような場合、どのような追究の手法があるのかわからない。
ご教示を請う次第である。

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