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2015年2月 7日 (土)

和子と博

前回は、「和と邦」という自身のエントリーに触発されて、「邦と国」の対比を試みた。

名前という視点から対比してみた。

「邦子」という名前は多いけれど「国子」はあまり見かけない。
なぜだろう?

そんなお話だった。

おしりに「子」をつける名前なら、「邦子」より「和子」のほうがさらに多い。
今はそもそも女の子の名前に「子」をつけないから若い子には見当たらないが、中高年の女性なら「和子」さんは本当にありふれている。

平和の尊さが身にしみていた昭和20年代、「今年生まれた女の子の名前ベストスリー」の常連だった(と思う。調べたわけじゃないけれど)。

その「和子」さんに呼びかける場合、わたしたちは「わこ」さんとは呼ばない。
当たり前のように「かずこ」さんと呼ぶ。

なぜだろう?

「和」という漢字はふつう「平和」、「和解」など熟語の形で用いられる。
その場合、「わ」と字音で読む。

「山」が「やま」というたしかな訓を持つ、というのとは少し違うけれど、「和らげる」などとやや無理ぎみに和語に当てることもたまにある。

その場合は「やわらげる」と読む。

どんなに無理をしても、日本語文の中で「和」を「かず」と読むことはない。
ただ、名前に用いられる場合に限って「かず」と読まれる。

特異な、不思議な現象である。

なぜ、名前に限って「かず」と読まれるのだろう?
どのような経緯で「かず」という読みが発生したのだろう?

江戸時代、本居宣長もこの問題で頭をひねったけれど結論は出なかったという。

ものの本によると、このような名前に限った特有の読みを「名乗り訓」というのだそうだ。

かくいう私の名前には「博」という文字が含まれているけれど、これを「ひろ」と読むのも「名乗り訓」かもしれない。

たしかに「博」には「ひろい」という意味が含まれているが、「博学」、「博物館」のように「はく」と字音でしか読まない。
「広い部屋」とは書いても「博い海」などと表記することはない。

「博」を「ひろ」と読むのは名前特有の読み、つまり「名乗り訓」なのだ。

そうだったのか!
自分自身のことながら今まで気がつかなかった。

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