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2015年2月20日 (金)

ペットとしての漢字

前回は織田信長や明智光秀、豊臣秀吉などおなじみの戦国武将がはなばなしく登場した。
みな名乗り訓を持っていた。

かくいう私も名乗り訓を持っている。
日本語圏における名乗り訓の習慣は古く、広い。

漢和辞典、漢字辞典のなかには字義や音訓のほかに名乗り訓を多数収めているものもある。
それだけ一般的な風習なのだ。

信長の「のぶ」、秀吉の「ひで」は、その字義からなんとか名乗り訓とのつながりを認めることができる。

しかし、光秀の「みつ」に至ってはまったく出所不明だ。
漢字本来の字音とも字義とも何の関係もない。

それなのに、当り前のように森光子さんと言ったり草笛光子さんと言ったりする。

もっとも囲碁棋士の楠光子さんのように「てるこ」と読ませる例もある。
これならその字義から何とかつながりを感じることもできる。

ともあれ、日本語話者と漢字との関係の玄妙さを感じる。

日本列島に漢字が渡来してからかれこれ2千年…。
その間にいろいろなことがあった。

ひらがなやカタカナのように、日本語に適合した文字を生み出してからも漢字とのつきあいは続いた。
ベトナムのようにローマ字に置き換えることも、韓国のようにハングルに一本化することもしなかった。

さしたるルールもないままに漢字、ひらがな、カタカナを混ぜ合わせて日本語を表記するようになった。
おかげで世界一複雑な表記システムが出来上がった。

外国人の日本語学習者はみなこのことで頭を抱える。
厄介な問題である。

厄介ではあるが…。

日本語話者はそこにひそかに愉しみも感じている。

秘密という語を「秘密」、「ヒミツ」「ひみつ」と書き分けて喜んでいる。
「時雨」や「蒲公英」のような熟字訓を作って楽しんでいる。

わたしたちは長い長いつきあいの中で漢字を飼いならしてきた。
そして今ではペットのようにいつくしんでいる。
わたしたちは漢字というペットと日々たわむれている。

名乗り訓もそんな意識のなかで成長普及してきたのではないだろうか?

たとえば「光」という漢字。

熟語として用いるときは文字に敬意を表して「こうせん」と本来の字音で読む。
また、「朝の光がまぶしい」というように、おとなしく和語と対応させて「ひかり」と訓で読む。
しかし、遊び心はそれではおさまらない。

「光」からまったく音訓を切り離し、どこか知らないところから「みつ」という音を持ってきて結びつける。
そうして「光子」と名付ける。

名乗り訓という不思議な現象は、そうやって漢字とたわむれる日本語話者の文化から生まれてきたのではないだろうか?

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