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2015年2月14日 (土)

信長と光秀

前回は「名乗り訓」という不思議な読みについてお話をした。

「和子」さんにおける「かず」のように、人の名前に限って用いられる特殊な読み方である。

と他人事のようにお話を始めたのだけれど、途中から私自身の名前に含まれている「博」の読みも実は名乗り訓だったということに気がついてびっくりしたというお粗末な一幕で前回は終わった。

「博」の字を「ひろ」と読むのはまだうなずけるところがある。
「博」には「ひろい」という字義があるからだ。

しかし、「和」を「かず」と読む(読ませる)のは、一体どうしたことだろう!
「和」という漢字と「かず」という縁もゆかりもない読みが結びついたのはなぜだろう?

人名に関する本はたくさん出ているけれど、名乗り訓の成立プロセスを教えてくれた本にはまだお目にかかっていない。

名乗り訓のような現象は日本以外でも見られるのだろうか?

ことは漢字の読みに関する現象だから、観察の対象は漢字圏に限られる。
中国や台湾、むかしの韓国やベトナムでもこのような現象はあったのだろうか?

ともあれ、名乗り訓は不思議な現象であるにもかかわらず、日本語圏ではざらにみられる。

和子だけでなく、信子さん、光子さんもそう。
こうして並べてみるとなんとなく昭和のにおいが漂ってくる。

名乗り訓は昭和期に多い現象だったのだろうか?

いやいや、それは戦国時代から普通にあった。

織田信長の「のぶ」。
豊臣秀吉の「ひで」。
明智光秀に至っては、「みつ」も「ひで」も名乗り訓でできている。

「秀」には「ひいでる」という字義があるから、そこから「ひで」という名乗り訓が生まれたのか?
漢字辞典によれば、「信」という字には「のばす、のびる」という意味があるとのことだから(知らなかった!)、そこから「のぶ」という名乗り訓が生まれたのか?

この二字は「博」と同じく、名乗り訓の来歴をたどることができそうに思う。
しかし、「光」を「みつ」と読ませるわけは「和」と同じくまったく想像がつかない。

わたしたちには想像を絶した現象だけれど、人名に関して「光」を「みつ」と読み「和」を「かず」と読む約束は社会的に広く受け入れられている。

この不思議な現象の深層には一体なにが隠されているのだろう?

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