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2015年1月11日 (日)

万能動詞薬

「する」という語がなければ、わたしたちの言語生活は成り立たない。
日本語の動詞体系の中で根幹部分を担っている。

なのに、「する」は「なる」に功を譲り、縁の下の力持ちとして黙々と働いている。
つくづく感心な奴である。

便利な語である。
お尻に「する」をくっつけるだけで何でも動詞になる。

報告、連絡、相談、調査、検討、議論…。

少しでも動きの意味を含んでいれば、「する」をくっつけることによってたちまちりっぱな日本語の動詞になる。

漢字熟語に限らない。
「する」は外来語にもくっつく。
アピールする、バイトする、チャレンジする、カットする、コラボする…などいくらでも思いつく。

最近は「お茶する?」なんて言い方もある。
そういえば、「レンジでチンする」という言い方も今では人口に膾炙している。
なんと「する」はオノマトペにさえくっつくことができるのだ。

くっつけるとあっというまに動詞に変身。
まるで万能動詞薬みたい。
前回「する」とほぼ同じ意味の「やる」が登場したけれど、「やる」にはこの効能がない。

漢字熟語だけでなく、単漢字にもくっつく。
愛する、信ずる(現代形は「信じる」)、感ずる(現代形は「感じる」)、演ずる(現代形は「演じる」)などなど。

これらの漢字は訓がない。
つまり漢字が渡来したとき、その字義に対応する和語がなかったのだ。

「愛」や「信」や「感」など基本的な情動をあらわす和語がなかった、というのも考えてみれば不思議なことだ。
あるいは以前お話ししたように、あったのだけれど漢字の強力なインパクトのせいで絶滅して今日まで伝わらなかったのかもしれない。

それはともあれ、「する」という強力万能薬のおかげで、わたしたちは「愛する」、「信じる」、「感じる」という語を何不自由なく使うことができるようになった。

ありがたいことである。
「する」に対しては、感謝「する」しかない。

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