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2014年12月14日 (日)

「いる」と「おる」

これまで「ある」と「ない」を見比べ、しかるのち「ある」と「いる」を見比べてみた。

いずれも人や事物の存在にかかわるもっとも基本的な語だった。
それぞれの語の性質を見つめてきた。

さらにここで、「おる」という語が浮上してくる。
意味は「いる」とほぼ同じである。
「いる」も「おる」も対象の可動性にまなざしを注いでいる。

語形は「ある」、「いる」に酷似している。
そしてこれまたシンプルで美しい。

辞書によれば、「いる」のやや古風な言い方、とある。

たしかに「さっきまでそこにいたんだが…」というのはお父さんのセリフだが、「さっきまでそこにおったんじゃが…」というのはおじいさんの言い方である。

黒板に「下ノ畑ニヲリマス」と書き遺したのは宮沢賢治だった。

「ある」の古形が「あり」であるように、「おる」の古形は「をり」である。
「ある」、「おる」と同じ存在動詞の「いる」の古形は「ゐる」である。
古語辞典によれば、「ゐる」に「あり」が結合して「をり」になったという。

上では「おる」は「いる」のやや古風な言い方、といったけれども本当は「おる」は「いる」の子供だったのだ。

それはさておき、「ある」も「いる」も「おる」も存在をあらわす状態動詞という点では同じだが、お尻に否定詞「ない」がつくかどうかという観点から比較するのもおもしろい。

「いる」については「縁側に猫はいない」とごく自然に言える。だから100点。

「ある」については「縁側に猫の本はあらない」とは100%言えないから0点。

「おる」については「縁側に猫はおらない」と言えるかどうか?
ふつうは「縁側に猫はおらぬ」と古風な言い方をする。
しかし100%ダメとも言い切れない。
微妙である。強行突破をすれば通るかもしれない。だから50点。

というわけで、一方の極に「いる」があり、もう一方の極に「ある」がある。
そしてその中間に「おる」が位置する。

存在動詞の三者をそんなふうに構造化するのは無謀だろうか?

ところで、「おる」は古風な言い方とされているけれども、謙譲の意をあらわしたいときには今でも盛んに用いられる。

「おかげさまで元気にしております」と手紙に書いたりする。
「元気にしています」では、感謝の気持が薄いと受け取られるおそれがある。

何か不祥事があった時に、責任者は記者会見で「深く反省しております」と頭を下げる。
「深く反省しています」では、反省の度が十分でないとみなされるおそれがある。

だからことばにうるさい人は、「先生は応接室におられます」という言い方は間違いだという。
「先生は応接室にいらっしゃいます」が正しい言い方である、というのだ。

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