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2014年11月 7日 (金)

「ある」と「ない」(その2)

対称性の崩れを喜ぶ日本文化の伝統が、形容詞「ない」の対極に動詞「ある」を持ってきた。

前回はそんな変な結論で終わった。

私は姿形こそ動詞の格好をしているけれど、形容詞に限りなく近いんです。
そんな「ある」の弁明も紹介した。

少し時代をさかのぼると、「ある」は「あり」、「ない」は「なし」だった。
どちらも終止形はイ段であって、語形の上で共通性が認められる。
「ある」の言い分も「なるぼど」と思わせられる。

それでも、英語に見られるきれいな対称性に比べると、その崩れはいかんともしがたい。
英語では「ある」も「ない」も「have」を用い、否定詞「no、not」の有無で正反対の事態をあらわすことができる。

日本語の「ない」も否定詞として働くことができる。

「書かない」、「弱くない」など活用語の語尾にくっついて否定の意味をあらわす。
この場合、辞書では否定の助詞として分類している。

しかし、「ある」という状態を否定するのに「ある」の語尾にくっついて「あらない」と言うことはできない。
ただ、「ない」という。

否定詞としては、「ない」のほかに「ず」という助動詞がある。
動詞の語尾にくっついて「飲まず食わず」などと言う。

こちらのほうは動詞「ある」にも付いて「あらず」と言うことができる。
やや文語的ではあるが、いまでも「望みなきにあらず」などと言う。

なぜ形容詞「ない」の対極には動詞「ある」があるのか?
なぜ「ない」は否定詞として「ある」にくっつくことができないのか?

「ある」は「自分は形容詞の仲間だ仲間だ」とさかんに言っているけれど、しょせんは水と油の仲なのだろうか?

一方で、「ある」と「ない」の間に決定的な断絶はないようにも思える。
「ある」と「ない」の間には連続性があり、絶えず移行の可能性がある。
事態は固定的ではなく流動的なのだ。

前回もお話しした通り、その「動き」に注目して一方に動詞「ある」を持ってきたのだという人もいる。

「ない」にせよ「ある」にせよ存在の根源にかかわる語である。
世界の諸言語では「ある」と「ない」の言語的関係はどうなっているのだろう?
興味は尽きない。

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