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2014年10月 3日 (金)

アクセサリーとアイデンティティ

前回は卑弥呼を取り上げた。
人名つまり固有名詞が知られている最古の日本人は卑弥呼じゃないか、と言った。

しかしこれは誤りだった。
私の認識不足だった。

中国の史書に残る倭国王「師升」というのが、今に伝わる日本最古の人名とのこと。
卑弥呼はそれに次ぐ二番目らしい。

しかし、「師升」にしろ「卑弥呼」にしろ一名法である。

日本人の場合、最初期の人名は一名法だったのだろうか?
世の中万事素朴な時代だったからそうかもしれない。

ただ、なにぶん古い時代のことだから人名といっても今と同じ感覚で考えてはいけないような気もする。
今なら「おれの名前は小泉信三」というけれど、それと同じ感覚で「私は卑弥呼」という自己認識を持っていたとは思えない。

他人がその人を呼ぶ時のニックネームのようなものだったかもしれない。
清少納言だって、紫式部だって自身は「私は紫式部です」というようなアイデンティティの感覚はなかっと思う。

そもそもローマ時代には女性はまともな固有名詞など持っていなかった。
男は「ガイウス・ユリウス・カエサル」とりっぱな名前を持っていたけれど、女はそうじゃなかった。
ユリウス一門に生まれた女性はみな「ユリア」だった。

日本の場合、卑弥呼から少し時代を下ると「蘇我馬子」や「物部守屋」などがあらわれて、なんとなく今の名前と共通するものを感じる。

しかし歴史の教科書にそう書いてあるだけであって、リアルタイムではどうだったかわかったものではない。
ひょっとすると、「蘇我」と「馬子」の間に何か挟まっていたかもしれない。
真相は「蘇我馬子」や「物部守屋」その人に問いただしてみない限り分からない。

この人たちは、本当のところ自分たちを何と認識していたのだろう?

いまのわたしたちはめったなことでは姓名を変えることができないから、自分の名前はアイデンティティの根幹をなしている。

しかし昔はそうじゃなかった。
豊臣秀吉のようにころころ名前が変わった。

少なくとも武士の場合、幼名と成人してからの名前は違うのがふつうだった。
成人になってからも、適当に名前を変えた。

維新の元勲だってそう。
桂小五郎から木戸孝允なんてまるで別人に変身したみたいだ。

アイデンティティとのかかわりは薄いように思える。
気分次第で取り換えるアクセサリーのような感覚だったかもしれない。

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