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2014年10月24日 (金)

起源の探求(その3)

起源とは「ない」状態から「ある」状態へ飛躍する劇的な瞬間である。
その瞬間の神秘には誰だって魅惑される。

前々回はそんなお話をした。

起源をつきとめることは可能だろうか?
素朴な問いだけれど、答えは案外むずかしい。

たとえば言語は人間とともに歩んできたのだから、言語の起源は少なくとも人類誕生以後のイベントになる。
現在からどんどん人類の歴史をさかのぼっていけば、どこかの時点で言語誕生の瞬間に突き当たる。
時間軸上のどこかに言語の起源が見つかる。

現実的にその時期を特定することは不可能にせよ、理屈ではそう考えるのが自然だ。

しかしここに難関が立ちはだかる。

言語誕生の瞬間がXデーだとすれば、その前の日はどうだったのか?
人々は言語誕生の前日までは、へびやカエルと同じように言語のない日々を過ごしていたのだろうか?
それがある日を境に一変するのだろうか?

これはありえないことだ。
今日ことばをしゃべっていた人は、きのうも同じようにことばをしゃべっていたに違いない。

だからソシュールは「言語の起源なんてない!」と喝破したのだ。

うーむ。
これはパラドクスだ。
言語の起源はパラドクスの砦に守られて、容易に凡人を寄せつけない。

言語の起源はあるかもしれないしないかもしれない。
かりにあるとしても、人間にはそれをつきとめることはできない。

というのが、はじめの設問に対する穏当な答えかもしれない。

穏当な答えには飽き足らない、という人がいるかもしれないが仕方がない。
仕方がないという表現はこのような問題に対して生まれたと思えるほどだ。

かりにいついつが言語誕生の日だということができてもそれだけでは済まない。

言語誕生の日、最初に人が発したことばはどんなだったか?
かりに、「腹減ったなあ」というつぶやきだったとしよう。

では、その文法はどうやって形成されたのか?
その言語音はどのように選択されたのか?
そして語と意味のつながりはどのようなプロセスで人々に共有されたのか?

こうした数々の答えようのない疑問に答えなければならないのだ。

到底人間わざでは無理である。
この際、「仕方がない」でパスするほかはあるまい。

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