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2014年10月10日 (金)

起源の探求

ことばの起源はいかに?
と大上段にふりかぶったところで、あっさり返り討ちに遭うのが関の山である。

では、もう少し控えめにことばの中でも人名に絞ってはどうか?
という目論見もあってここ数回、人名の起源のあたりをうろついてみた。

われながらさしたる収穫があったとは思えない。
それでも起源を探ってみたいという衝動はおさえきれない。

「起源」ということばは人を魅惑する。
宇宙の起源、生命の起源、人間の起源、貨幣の起源、宗教の起源、そして言語の起源…。

そんな「起源」に一度でも思いをはせなかった人がいるだろうか?
起源は「ない」状態から「ある」状態へ飛躍する劇的な瞬間なのだ。

一体そこで何が起こったのだろう?
どんな不思議な「力」が働いたのだろう?

それを知りたい、と思うのが人情というものだ。
だから、世界の多くの神話は創世神話から始まる。

ダーウィンの「種の起源」があれほど有名になった要因はいくつもあるにせよ、「起源」ということばを書名に付けたのが良かったのではないか?
「起源」という語が読者の心をわしづかみにしたのだ。

にもかかわらず、多くの場合わたしたちは「起源」にたどり着くことはできない。

「起源」は歴史の闇のかなたにある。
いや、「ある」のか「ない」のかさえ定かでない。
曖昧模糊としているのだ。

これまで起源の探求に取りつかれて一生を棒にふった人は数知れない。

だからソシュールはあっさりこう言ったそうだ。
「言語の起源を探るなんて、ばかばかしい試みだよ。」

かれはこうも言っている。
「言語は常に前日と同じ言語である。」
「前日に同じ形で話されなかった言語は知られたことがない。」

つまり言語の起源なんて存在しないんだよ、というのだ。

なるほど。
これはこれでひとつの見識である。
人生をパーにしない知恵でもある。

それでもなお、困ったことに「起源」はわたしたちを手招きするのだ。

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