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2014年9月26日 (金)

名前の起源

最近の親はわが子の名づけにずいぶん凝るようになった。
前回の最後はそんなお話になった。

親としては、命名の自由を存分に味わえる数少ない機会なのだ。
ちょっと凝りすぎじゃない?と感じる時もあるが、あたたかく見守ってやりたい。

ただし、自由といっても音の選択や文字づかいの部分に限られる。
姓と名という人名の基本構成までさわることはできない。

世界にはさまざまな名づけの方式があるけれど、現代日本人の場合、姓と名の二名法が確立している。
欧米によくあるような三名法で命名した場合、果たして役所の戸籍係が受け付けてくれるかどうか?

日本でもむかしは三名法が珍しくなかった。
ついこないだまであった。

私の弟の小学校のクラス担任は上野五郎左衛門信夫(うえのごろうざえもんしのぶ)といった。
これなどはむかしの三名法が昭和の時代まで生き残った稀有の例だろう。

ところで、人名つまり人を特定する固有名詞はいつごろ生まれたのだろう?
前回は「ことば=名前」というあやしげな定義を展開したので、理屈を言えば名前の起源とことばの起源と同じになる。

しかし、名前といっても人の名前はさすがにもう少し後だろう。
人類が誕生したとたん、人名が出来上がったとは思いにくい。

しばらくはみな名無しの権兵衛だったに違いない。
社会が複雑になりさすがにみな名無しでは何かと不都合ということになって、個体識別用の人名が生まれた。

問題はそれがいつ頃のことか、ということである。
答えが見つかる見込みもないのでだれも研究しないとは思うが…。

現代日本に伝わっている最古の人名といえば、「卑弥呼」だろうか?

だが、「ひみこ」が現代日本でいう人名と同じ性質をもっていたかどうか。

「すいません、お名前は?」
「あっ、わたし卑弥呼といいます」と彼女自身が言ったかどうか?

「おーい、卑弥呼、お茶持ってきてくれ」
とお父さんが言ったかどうか?

そもそも「ひみこ」という名を親が名付けたかどうか?

「卑弥呼」は中国の歴史書に登場するだけで、今の人名と同じような機能や役割を果たしていたとは思えないのだが…。

もう少し時代を下ると、「物部守屋」とか「蘇我馬子」といった二名法の名前が登場してくる。
ここまで来ると、人名に関して現代とダイレクトにつながっているような気がする。

「卑弥呼」の後継者は「台与」と言ったらしい。
「卑弥呼」の時代は一名法だったのだろうか?

残念ながらこれ以上の実例を知らないからよくわからない。

もしこの時代が一名法だったとしたら二名法への移行はどのようなプロセスを経て行われたのだろうか?
名前に関する本は多いけれど、このような疑問には何も答えてくれない。

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