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2014年9月13日 (土)

「な」をめぐる物語

「きのう高い山に登りました。」

という何の変哲もない文があるとする。

学校文法にしたがって品詞分析をすれば、この文には名詞と形容詞と動詞が含まれている。

「山」という名詞が事物の「名前」であることはわかる。

では、「高い」という形容詞や「登る」という動詞は「名前」ではないのだろうか?

そうではあるまい。
決して学校文法でいう名詞だけが「名前」というわけじゃない。

「高い」という形容詞は、あるありさまに対して名付けられた「名前」。
「登る」という動詞は、ある行為に対して名付けられた「名前」。

事物だけでなく、ありさまに対しても行為に対しても「な」を付けることはできるのだ。

そんなふうに考えてもいいのではないか?

アダムの前に鳥や野獣が次々に連れてこられた。
するとかれはそれらの生き物を「ひつじ」や「うさぎ」などさまざまなことばで呼んだ。
そして、それらがその生き物の名前になった。

創世記にはこんなふうに事物の名づけの次第が語られている。

しかし、行為やありさまに対する名付けの様子は残念ながら描かれていない。
だから、動詞や形容詞の起源はイメージしにくい。

アダムは蛇にそそのかされて楽園の甘いリンゴを食べてしまった。

「蛇」や「リンゴ」という名詞はアダムが名付けたとしよう。
では、「甘い」という形容詞や「そそのかす」、「食べる」という動詞はだれが名付けたのだろう?
だれかが名付けないとこのドラマは成り立たない。

名詞はわりに単純だから人間であるアダムにやらせてもよい。
しかし、動詞や形容詞は活用なんかして複雑だからアダムには荷が重い。
仕方あるまい、ここはわしが…。

と神さまが思ったかどうか。

神さまなのかアダムなのか、それともその他のだれかなのか、いずれにせよこの世のすべてのものやことに対して「な」がつけられた。

目にも見えず、耳にも聞こえず、手で触れることもできない超感覚的な「何か」に対してさえ、「な」が与えられた。
たとえば「とき」や「時間」のように。

「な」の壮大な物語を思えばまことに気が遠くなる。

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