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2014年8月 1日 (金)

「やま」と「山岳」

漢字熟語の作り方のひとつに、似た意味の文字を重ねるという方法がある。
たとえば「悲哀」や「愉悦」などである。

もちろん感情の分野に限らず、自然の風物にもこの方法は適用される。

「やま」に対して、「山岳」という熟語がある。
「かわ」に対して、「河川」という熟語がある。
「き」に対して「樹木」という熟語がある。
「みずうみ」や「ぬま」に対して、「湖沼」という熟語がある。
「もり」や「はやし」に対して、「森林」という熟語がある。
「うみ」に対して、「海洋」という熟語がある。

これまでこのブログでさんざん話題にしてきたので、もうおなじみだと思う。

「やま」に対して「山岳」はむずかしい、いかめしいことばである。
あらたまった感じ、もったいぶった感じもする。

しかし、組織や団体の名称、公文書には好んで用いられる。

「日本やま会」ではなく、「日本山岳会」。
「国土交通省かわ局」ではなく、「国土交通省河川局」。
「ぬま水質保全特別措置法」ではなく「湖沼水質保全特別措置法」。
「東海大学うみ学部」ではなく、「東海大学海洋学部」。
「き識別実習」ではなく「樹木識別実習」。

公の世界では、漢字熟語が重んじられ和語が軽んじられている。
日常会話や話しことばの世界では和語の比重が圧倒的に高いのに、この落差はどうしたことだろう!

たしかに「やま会」や「かわ局」では格好がつかない、みっともない、子供っぽい、という当事者の気持ちはよくわかる。
しかし、どうして「河川局」でなく「かわ局」では格好がつかないのだろう?
どうして「海洋学部」でなく「うみ学部」では子供っぽくてみっともない、と感じるのだろう?

2千年に及ぶ漢字文化の重圧が、そのようないびつな感受性をはぐくんだのだろうか?
なんだか和語がかわいそうである。

ともあれ、漢字熟語は使い勝手がいいからいたるところで愛用されている。
本当は薄っぺらな内容をいかにも深遠な内容であるかのように見せかけるためにも用いられる。
漢字熟語にはそんな弊害もある。

しかし、こうなってしまった責任の一端は和語にもある。

この2千年このかた、込み入った内容、難しい考え、深遠な思想を表現するという力仕事は漢字熟語に丸投げして、自分たちはのうのうと昼寝をしていたのだ。
自分たちの表現力を磨くという自己開発のつとめを怠ってきたのだ。

だから、今ではどんなに頑張っても新聞の論説文や論文を和語だけで執筆することはできない。
和語には冷たいかもしれないけれど、自業自得というしかない。

もっとも、和語のほうでは案外そんなこと気にしていないのかもしれない。

面倒なことは漢字漢語におまかせします、わたしたちは情緒の世界で気楽にやれればいいです。
そんな風に割り切っている。

和語はわたしたち日本語話者にはなじみ深いけれど、よく言えば素朴、悪く言えば能天気なところがありますね。

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