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2014年8月16日 (土)

「な」の旅路

ずいぶん長い間、「な」をめぐって愚考を重ねてきた。

きっかけは「やま」という語にこだわったことだったと思う。
根が山好きなものだから、ついのめりこんでしまった。

「山」のほかになぜ「岳」という語があるのだろう?
「山」はなぜ「やま」と呼ばれたり「さん」と呼ばれたりするのだろう?
ひとつひとつの山の「名」はどのようにして生まれるのだろう?

あとはひたすら川の流れに身を任せた。
山あいの源流から、とうとう海にまで。
数え切れないほど、さまざまな風物を見た。
すべての風物に「名」があった。

たとえば「かわ」という「名」があった。
そして「阿武隈川」という「名」があった。

たとえば「おか」という「名」があった。
「丘」という文字があり「岡」という文字があった。
その違いについて考え込んだりした。

たとえば「しま」という「名」があった。
その「島」は「あわじしま」と呼ばれたり「クレタとう」と呼ばれたりした。

「名」は変奏を重ね、変態をくりかえす。
新しい「名」に出会うたび、私は小さな驚きに包まれた。

川を下るにつれて「人」があらわれた。

そのかみ「人」は風物と交わり、そこにまた新たな「名」が生まれた。
姓という「な」が生まれた。

「むら」があり「まち」があった。
その向こうに「都市」が見えた。

和の「名」があり、漢の「名」があった。
和漢の「な」は複雑にからみあい、豊かな言語文化が生まれた。

「名」はこうしてわたしたちの山野に遍在している。
しかし、どれだけ愚考を重ねても私には「名」の真実がつかめない。

「名」の旅路の果てに、私はことばを失って立ち尽くしている。

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