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2014年8月 9日 (土)

共存の作法

日本語の世界で「やま」と「山岳」は共存している。
仲良く共存しているのか、それともしぶしぶ共存しているのか、その辺はどうだろう?

もうずいぶん昔のことになるが(2005年11月19日)、このブログで和語と漢語を日本語一家の夫婦にたとえたことがあった。

漢語は居間にどっしり腰を据えたお父さん。
和語はお勝手でちょこまかと立ち働くお母さん。

そんな風にたとえたことがあった。

お父さんは謹厳実直で頼りになるけれど融通がきかない。
「山岳」というお父さんは、意味明晰だけれどその分使い方が限られている。

お母さんは気さくで融通がきくけれど少々だらしない。
「山」というお母さんは、本当の山のほかに「期末試験のヤマをはる」とか「あいつはやま師だから気をつけろ」などなど、求められるままにどこにでも顔を出す。

お父さんは時々式典や会議に出かけて行ってりっぱな演説やスピーチをぶってくる。
お母さんは井戸端で近所のおばさんたちとおしゃべりに余念がない。

そんな様子を見ていると、この夫婦は自分の性格をよくわきまえていてうまく役割分担をこなしているように思える。
そうでなければ、2千年近くもひとつ屋根の下で暮らしてはゆけまい。

ただし、この二人が本当に愛し合っているのか、仲がいいのか?
それは、二人の内心をのぞいてみないかぎり分からない。

一緒になってずいぶん時が経った。
いまさら別れることもできないので、あきらめて淡々と役割分担を果たしているだけかもしれない。

いずれにしても共存の関係を長続きさせるためには、それなりの作法がいる。
役割分担で成り立っている関係だから、相手の領分に踏み込まない。
これがルールといっていい。

そのルールを間違えるとおかしなことになる。
気まずいことになる。

たとえば、

例1 山で遭難すると山岳救助隊の人が助けに来てくれます
例2 山岳で遭難するとやま救助隊の人が助けに来てくれます

「山」と「山岳」はほぼ同じ意味だから、この夫婦の立ち位置を入れ替えても文意は通じる。
しかし日本語として例2はおかしい。
共存の作法をわきまえていないからだ。

和語と漢語、この夫婦の関係は長い。
いまさら愛情問題を云々してもはじまらない。

今はただ、共存の作法を大切に守ることによってこの夫婦関係の末長い安泰を祈りたい。

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