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2014年6月22日 (日)

都と市

「都市」はユーラシア大陸由来の概念である。

前回はそんなお話をした。

そして、その都市を構成する人々つまり「市民」も同じくユーラシア大陸由来の概念だ。

だから、ロダンの彫刻は『カレーの市民』と題されている。
オーソン・ウェルズ監督の映画は『市民ケーン』だった。
J・ジョイスにも『ダブリン市民』という短編集がある。

しかし、日本で『姫路の市民』や『市民なにがし』と題した芸術作品が果たして成り立つだろうか?

今日では、「都市」も「市民」も日本語としてよく用いられる語だけれど、出自がそんなだから日本語環境の中ではいまだに借り物めいた雰囲気がぬぐえない。
日本人の血となり肉となっていないのだ。

さて、人間は群れて暮らす習性があるから、どんな言語にもその「むれ」のあり方を表すことばがいくつもある。

日本語なら「むら」や「まち」がそれに当たる。
英語なら「village」や「town」や「city」などだろうか?

ちなみに、上の『カレーの市民』の「市民」は、フランス語の「bourgeois=ブルジョワ」を訳したものだ。
「城壁の中の人々」という意味がある。
ユーラシア大陸では「市民」はただの概念でなく、実際にそこにいる生身の存在だったのだ。

「都市」という漢字熟語も、「都」と「市」というよく似た意味を持つふたつの語から構成されている。
どちらも「人の集まるところ」という意味がある。

「都」はさらに、その多数集まった人々をコントロールするという意味も含んでいる。
「都督府」なんて古いことばもある。

人が多数集まるとどうしても無秩序になりがちだから、秩序維持の機能が必要になってくる。
だから、「都」にはコントロールタワーが設置され天子や帝がその機能をつかさどる。
かくして「都」が「みやこ」になる。

一方、「市」のほうは「いち」という訓があるように、商品取引の場という意味が含まれている。
人間は交換する生き物というのが人類学的な知見だから、「市」は都市の起源として普遍的なものかもしれない。

日本列島にも、定期的に市が立つ日にちなんだ地名が少なくない。
たとえば…。

豊岡市の円山川に面した一日市のバス停
筑紫野市の二日市温泉
南海電鉄の三日市駅
三重県の四日市市
広島県の五日市駅
南魚沼市の六日町観光協会
滋賀県の八日市市は合併して東近江市に
新潟県の十日町市

など、調べればまだまだたくさんあるに違いない。

「都市」という熟語は、人が集住する場所のそんな政治的経済的機能をうまく表現した語だと思う。

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