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2014年3月23日 (日)

山と川

日本列島に暮らす人々にとって、山と川はもっとも親しみ深い景観要素である。
「うさぎ追いしかの山 小鮒釣りしかの川」という対句もある。

しかし景観の性質としては対照的である。

動かざること山の如し、というように山は動かず変わらない。
これに対して、川はその源流から河口まで変転きわまりない。

それなのに、名付けに関しては山のほうがはるかにバラエティに富んでいる。

「○○山」といったり「○○岳」といったりする。
その「○○山」も「○○やま」といったり「○○さん」といったりする。

一方、川といえばその大小や姿かたちにかかわりなくすべて「○○川」であり「○○かわ」である。

「山」が「やま」と「さん」という音訓を持つのと同じく、「川」も「かわ」と「せん」という音訓を持つ。
しかし、川のほうは「○○せん」と呼ぶことはない。

「筑後川」や「天竜川」のように前半部が字音なら「川」の部分もそれに引きずられて、「ちくごせん」や「てんりゅうせん」となるかといえば、そうはならない。
ここが山とちがうところだ。

このちがいがどうして生まれたのか?
山と川の性質のちがいから、その答えが導き出せるだろうか?

里人にすれば山はやや遠くに仰ぎ見る存在。
これに対して、川は身近にあって見下ろす存在。

山が非日常的な修行の場であるとすれば、川は洗濯や炊事など日々の暮らしの場。

山は男性的なイメージが強いのに対して、川はどちらかといえば女性的である。
「母なる川」という言い方もある。

時には氾濫をおこして災厄をもたらすこともあるが、ふだんは田畑をうるおし人々の生活を支えてくれる優しい存在だ。

そんな女性的なイメージが「かわ」という和語となじむのだろうか?

ともあれ、河川に関しては日本語話者は「川=かわ」原理主義者である。
外国の川にもこの原理が適用される。

ナイルやアマゾンなど黄河や長江に匹敵する大河でもみな「ナイル川」、「アマゾン川」と表記し「ナイルがわ」、「アマゾンがわ」と発音している。

これに対して、外国の山には「ユングフラウ」や「エベレスト」、「キリマンジャロ」など、ふつう「山」も「岳」もつけず、呼び捨てである。

山と川、日本列島ではごくありふれた存在だけれど、名付けの方式に目を向けてみるとその対照はなかなかに奥が深い。

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