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2014年2月 9日 (日)

山と岳

日本は山国である。
日本列島のどこに住んでいても、ぐるりと見渡して山が見えないところはない。
日本人にとって、もっとも身近な景観要素といっていい。

人生いろいろであるように、山にもいろいろな山がある。
高く険しい山もあれば、低いなだらかな山もある。
日本語話者にとってはみなひっくるめて「やま」である。

しかし、和語には「やま」のほかに「たけ」ということばもある。

ただ、「やま」が単独で普通名詞としても用いられるのに対して、「たけ」は「なになにだけ」のように、固有の山名にしか用いられない。

なぜ、「やま」のほかに「たけ」という語が生まれたのか?
どうでもいいような疑問だけれど、ちょっと気になる。

ひとつひとつの山に名前をつけるにしても、すべて「なになにやま」で片づけることができるはずだ。
穂高岳も谷川岳も「足柄山=あしがらやま」と同じように「ほたかやま」、「たにがわやま」で別に困らない。

にもかかわらずふたつのことばがある。
古代にはしかるべき使い分けが行われていたのだろうか?

足柄山のような平凡な里山は「やま」といい、穂高岳や五竜岳や谷川岳のような高く険しい山は「たけ」と呼んだのだろうか?

ところで今から2千年近く前、中国から漢字が伝来した。
各地で開かれた漢字講習会で中国からやってきたインストラクターは「山=さん」と「岳=がく」というふたつの漢字を示して、こう言ったかもしれない。

「山という文字は比較的低くて登りやすい山という意味を持っています」
「これに対して、岳という文字は山の上に丘を重ねているだけあって、高くて険しい山という意味があります」

「なるほど、じゃあやまには山という文字を当て、たけには岳という文字を当てることにしよう」
講習会後の日本語話者の検討会では、こんな風に議論が落ち着いたのだろう。

しかし、実際に今に伝わる山の名前を調べてみるとこのルールも結構いい加減であることが分かる。

たとえば昔私が暮らしていた兵庫県但馬地方では、同じく千メートル前後の似たり寄ったりの山なのに、「来日岳」といったり「鉢伏山」といったり「蘇武岳」といったり「瀞川山」といったりした。

しかるべき山名考証を読めばいちいちもっともな理由が書かれているかもしれないけれど、「山」と「岳」の使い分けの決定的基準は依然として明らかにならないと思う。

おそらくみなさんお住まいの土地でも似たような事情ではないだろうか?

結局、前回の「和と邦」と同じように「慣用」ということでしぶしぶ納得せざるを得ないのかもしれない。

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