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2014年1月19日 (日)

時計と時間

前回は「重箱読み」や「湯桶読み」という不思議な読み方をすることばを取り上げた。

その際余談として、重箱や湯桶は今や古めかしいので「仕事読み」や「時計読み」など若い人にも分かりやすい表現に改めてはどうか、というささやかな提案をした。

この提案が採用される見通しは暗いけれども、ついでだからあの時なにげなく登場した「時計」ということばに注目してみたい。

「時計」は湯桶読みの代案として登場したものだ。
ハイブリッドことばの一例である。

「とけい」の「と」は訓読み。
「とけい」の「けい」は音読みである。

なぜ、すんなりと素直な漢語「じけい」にならなかったのだろう?
あるいは、「尻餅」のように素直な和語「ときはかり」にならなかったのだろう?

時計は時間を計る機械である。
「時間」を「じかん」と音読みするなら「時計」も「じけい」と音読みするのが理屈というものだ。

しかし、日本語環境の中でその理屈は通らなかった。
なぜか?

「時間」は「感覚」や「信念」と同じく抽象的な概念だ。
そして抽象的概念にはなぜか漢語がなじむ。

だから「時間」は「じかん」としてすんなり受け入れられた。

しかし「時計」はそうはいかなかった。

時計は抽象的概念でなく、具体的で身近な「もの」である。
そして具体的な「もの」や「こと」を表現するにはなぜか和語が都合がいい。

「じかん」という漢語に対して日本には古くから「とき」という和語があった。
人々が日常生活でよく用いる大切なことばだった。

このことばが「じけい」に頑強に抵抗した。

かといって、日本語話者はこの外来の文物に対して「ときはかり」と徹底的に和語化するだけの度胸もなかった。
だから、漢語である「じけい」と和語である「ときはかり」を足して二で割った「とけい」に落ち着いたのだ。
本邦でおなじみの妥協の産物である。

前回の最後でもお話ししたように、ふたつの異なる言語文化が出会う時、そこでは置換、併存、折衷などさまざまなタイプの変容が生じる。

漢字・漢語と日本語はその出会いのときから、無数の葛藤を繰り広げてきた。
「時計」が「とけい」に落ち着いたのも、その長いせめぎ合いの歴史の中で生まれたひとつのエピソードである。

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