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2014年1月12日 (日)

ハイブリッドことば

お正月は日本の夜空を彩る漢字の万華鏡を楽しんだ。

単独の漢字だけでなく、複数の漢字が結びついた熟語にも日本語環境への適応過程で豊かな多様性が生まれたことが分かった。

今回は熟語の読みの点からその多様性にアプローチしてみたい。

まず「感覚」や「信念」のように音読みの熟語がある。
純然たる漢語であり、その数はずいぶん多い。

一方で、「夜明け」や「買い物」、「尻餅」のように訓読みの語も少なくない。
これらは和語に漢字の意味を当てた語だ。

日本語話者が漢字という渡来ものを何とか飼いならした成果と言える。
けれど、漢字の使い方としてはいくぶん取ってつけたような感がなくもない。

さらに「仕事」や「荷物」、「友達」のように音読みと訓読みが混在していることばもある。
いわゆる「重箱読み」や「湯桶読み」というやつである。

音読みと訓読み、つまり漢の要素と和の要素が何食わぬ顔をして同居している不思議なことば。
和語ともいえず漢語ともいえないハイブリッドことば。

それでいて、「しごと」にせよ「にもつ」にせよ「ともだち」にせよなぜか身近なことばが多い。

余談だけれど、「重箱」にしても「湯桶」にしてもずいぶん古めかしい道具である。
もう少し現代的な表現に改めたほうがいいかもしれない。

たとえば「重箱読み」は「仕事読み」に変える。
「湯桶読み」は「時計読み」に変える。

という案はどうだろう?

それはさておき、日本語では「重箱読み」や「湯桶読み」が存在しているというのはわかったけれど、ではどうしてそんな変則的な読みが成立したのだろう?

という疑問についてこれまであまり行き届いた解説にお目にかかったことがない。

漢字はほぼ2千年前、日本列島に渡ってきた。
そのとき、日本語にとって漢字・漢語は明らかに異文化だった。

この不思議な現象は異文化受容の世界でいうシンクレティズムの一例だろうか?

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