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2013年12月29日 (日)

漢字のスペクトル

日本で行われている漢字は全体として万華鏡の様相を呈している。

前回はあらましそんなお話をした。

生まれ育ったふるさととはまったく環境の異なる日本で生きていかなければならない。
その時の身を処し方、環境への適応の仕方に、それぞれの文字の個性があらわれる。

文字ごとの個性のちがいが多様性となってわたしたちには万華鏡のように感じられるのだ。

「感」のように、あくまでも孤高と純潔を保つ文字。
「信」のように、変に日本語と折り合いをつける文字。
「恋」のように、すっかり日本語の顔になってすましている文字。

もう少し科学的に、日本における漢字のスペクトル作成を試みたい。
その際の指標は訓のあるなし、訓の付きかたである。

最左翼には「感」のように、訓のない文字を配置する。
「感」は徹頭徹尾「かん」で押し通している。
純粋漢字である。

その少し右に「愛」を配置する。
「愛」は独立の訓はないが、「花を愛でる」のように文脈の中では訓があるかのような使い方をする。
そして、人々の名前としてもよく用いられる。

さらにその右側に「信」を配置する。
「信」は人名にもよく用いられ、その場合「のぶ」のようにあたかも訓であるかのような特有の読みを持つ。

「念」はどこに配置すべきか、やや迷うところだ。
辞書には「おもう、よむ」という訓が示されているが、訓として用いられることはほとんどない。
この点は「演」も同じだ。

「感」と「愛」の間に配置することが穏当だろうか?

そしてスペクトルの中央あたりに「恋」をでんと配置する。
「恋」はりっぱな音と正真正銘の訓を持っている。
「山」や「海」、「雲」などこの位置にくる漢字は多い。

さらにその右側には、「雨」、「花」、「桜」などを配置する。
みな日本の風土との親和性が高い文字である。

りっぱな音と正真正銘の訓を持つという点では「恋」と同じだが、さらに日本語になじんでくる。
つまり、「時雨」、「紫陽花」、「秋桜」のように熟字訓として採用されるようになる。

右端の近くには、左側とは逆に音はあってもほとんど訓でしか用いられない漢字を配置する。
たとえば「扱」という文字。
辞書によれば「扱」は「しょう、そう」という音を持つそうだが、この音読みの実例を私は知らない。

「尻」、「株」もこの仲間だ。
辞書には音が載っているけれども、その音を実際に用いている人がいれば会ってみたいものだ。

そして、最右翼には究極の日本的漢字を配する。
そう、音を持たない漢字つまり国字である。

「凩」、「峠」、「汀」などの和製漢字を最右翼に配置して「漢字のスペクトル」の出来上がり!

やれやれ、これでめでたく正月が迎えられそうだ。

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