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2013年12月 1日 (日)

愛と恋(その2)

漢字熟語には、よく似た意味の漢字を並列して作られている例が少なくない。

「河川」といい、「山岳」という。
「称賛」といい、「別離」という。

「恋愛」という熟語もそのひとつだ。
しかし、似てはいるけれども「恋」と「愛」はあくまでもちがう。

「恋」は男女間に生じる感情に限定されるけれども、「愛」は適用範囲がはるかに広い。
「神の愛」、「人類愛」なんて言われると崇高な感じがする。

いくら「恋」ががんばっても「人類恋」とは言えない。
つまり、「愛」は「恋」よりずっとえらいのだ。

さきに言ったこととは矛盾するけれど、「恋」の対象は必ずしも異性だけではない。
「ふるさとが恋しい」と言ったり、「おふくろの味が恋しい」と言ったりする。

しかしその「ふるさとが恋しい」感情をずばりと言いあらわすためには、「郷土愛」という「愛」の助けを借りなくてはならない。

やはり「恋」は「愛」にはかなわない。

「恋」は素朴な心の動きだから、親しみやすい。
しかし、「愛」には警戒が必要だ。

「あなたが恋しい」ということばに嘘はない。
しかし、「きみを愛してるよ」という甘いささやきはそのまま信じてはいけない。

「恋」に比べて「愛」は崇高な感情であり概念だ。
その分、つくりものめいている。
わざとらしい感じがする。

ついつい「愛」に対してつらく当たってしまったのは、私が「愛」に対応する和語を持たなかった日本語話者の末裔だからだろうか?

いま「愛」は日本語の世界に氾濫している。
まるで根っからの日本語のようにふるまっている。

しかし、素性をただせば漢語つまり中国語なのだ。

だから、「愛」ということばをとことんよく聞き、よく読んでみるといまだに日本語の文脈に完全にはなじんでいないことがわかる。
そこには借り物の異物感が漂っている。

そんなふうに感じるのは私だけだろうか?

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