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2013年12月 8日 (日)

愛と恋(その3)

今では「愛」は日本語の世界に氾濫している。
しかし、いまだに借り物の異物感はぬぐい去れていない。

このことは、漢字伝来以前に日本列島には「愛」という漢字に対応する和語がなかった、という事実に起因する。
というのが前回の結論だった。

しかし、この結論はあまり考えもせず安易に導き出したものかもしれないと今は反省している。

「愛」は「恋」よりも一層基本的なひとの心の動きをあらわすことばだ。
それをあらわす和語がなかった、という結論は十分疑うに足りる。

そこで、いまいちど考えてみたい。
古代の日本には本当に「愛」に対応する和語がなかったのだろうか?

いや、あったと仮定してみる。
そして、その和語を仮に「いあ」としてみる。

古代日本人の基本的な心の動きをあらわすことばとして「いあ」があった。
「いあ」は人間はもちろん、動物、自然一般をも対象としうる普遍的な感情だ。

その上に、男女間に限定した感情をあらわすことばとして「こい」があった。

その後ほぼ2千年前に「愛」と「恋」がユーラシア大陸から渡ってきた。

古代日本列島の人々は、「恋」はわれわれが「こい」と呼んでいるものだ、ということが分かった。
だから、「恋」には「れん」という字音とともに「こい」という訓読みがつけられた。
かくして、「恋」には「れん」と「こい」が併存して現代に至っている。

ところが…。
どういうわけか、古代日本人は「愛」はわれわれが「いあ」と呼んでいるものだ、ということが分からなかった。
だから、「愛」には「あい」という字音だけが残り「いあ」という訓読みは成立しなかった。
そして「愛」のインパクトは強烈だったから、「愛」に対応できなかった「いあ」には消滅の運命しかなかった。
つまり、「恋」の場合のような併存ではなく「愛」が「いあ」に完全に置き換わってしまったのだ。

かくして和語の「いあ」は、歴史の彼方に消え去ってしまった…。
というようなストーリーは考えられないだろうか?

根拠のない妄想かもしれないけれど、漢字伝来を契機としてこのようなメカニズムで失われてしまった和語も少なくないような気がする。

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