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2013年11月 1日 (金)

「気」と神さま

「気」は空気でありこころでありこの世のパワーの源泉である。
つまり、とてつもない存在である。

というのが前々回の一応の結論だった。
これで「気まぐれ」な「気」の本性を取り押さえることができたかどうか?

ともあれ、これが「気」の本性だとすれば神さままではあと一歩だと思う。
しかし不思議なことに、漢字の「気」も日本語の「き」もなぜかあまり神さまとは結びつかない。

曖昧で朦朧とした水蒸気みたいなものがもともとの原義だからだろうか?
そのふにゃふにゃした感じが神さまの威厳にそぐわないからだろうか?

それとも日本語の場合、あまりにも人の心に密着しすぎたせいだろうか?

ともあれ「気」には神さまはいない。

だとすれば、「聖霊」を「気」に置き換えてはいかが、という私の提案はまったくのとんちんかんだったということになる。
恐れ多くも「聖霊」は神さまの一側面なのだから。

少し前には私の提案もまんざらではないなんて自画自賛したものだけれど、よくよく考えてみればとんでもない的外れだったかもしれない。
本当に世の中、どこに落とし穴があるか分からない。

この点、キリスト教文化圏の言語ではどうなのだろう?
英語やラテン語やヘブライ語やギリシャ語ではどうなのだろう?

三位一体論に登場する「聖霊」は「精霊」とはちがうものらしい。
しかし、英語ではどちらも「spirit」という。

「spirit」と「God」の関係はどうなのだろう?
三位一体論の「聖霊」が「spirit」なら「God」とつながっていてもおかしくないと思うのだが…。

いずれにせよ、辞書的には「spirit」は日本語の「気」に対応している。
ただ、日常会話のレベルでは「気」のほうがはるかに自由自在、融通無碍に活躍している。

日本語における「気」の存在の大きさにあらためて驚かされる。

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