« 「気」の周辺 | トップページ | 「き」と「いき」 »

2013年10月20日 (日)

「気」の周辺(その2)

さて、「気」という面妖な存在にどのようにアプローチすればいいだろう…。
私はいま思案に暮れている。

「空気」のような存在と考えればいいのだろうか?

目には見えず、この手で触れることもできない。
雲をつかむような感じがする。

それでいて「気」が存在しなければ、わたしたちは一瞬とて生きることができない。
前回の調べでわかったように、「気」はこの宇宙や人間存在の根本を支えている何かであり、この世のもっとも基本的な要素なのだ。

「気」は空気のようにいつもわたしたちのまわりにみなぎっている。
「気」は日本語空間にもすみずみにまで満ちあふれている。

空気がなければ生きていけないように、「気」ということばがなければ日本語話者の言語生活は立ちゆかない。

ふだんは空気のように「気」にも留めないけれど、いったんこのことに「気」がつくといつまでも「気」になって仕方がない。

前回ご紹介した語義の4には「生命の原動力となる勢い」というのがあった。
そう、「気」にはパワーが内在しているのだ。

わたしたちはそのパワーをもらって生きている。

「気」から十分にパワーをもらうとわたしたちは「元気」になるし、うまくパワーを汲みあげられないと「病気」になる。
「活気」も「本気」も「気力」も、このパワーに由来する熟語だ。

こうして「気」は日本語空間にみなぎっている。

「気がする」、「気になる」のように単独で用いられるのはもちろん、「空気」、「元気」、「人気」、「活気」、、「景気」、「気迫」、「気分」など「気」がくっつく熟語も数知れない。

さらに「気」は「こころ」そのものでもある。
辞書にもそう載っている。
前回ご紹介した語義の6,7あたりがそれにあたる。

「気」の用例や「気」を含む熟語を思い浮かべれば、なるほどと思う。
「気持ち」という考えてみれば変な熟語も、こころの動きそのものだ。
だから「気持ち」という語は日常会話で実によく用いられる。

「気」は空気でありこころでありこの世のパワーの源泉である。
なんというとてつもない存在!

哲学者なら大いに関心をそそられてしかるべきだ。
九鬼周造さんには「いきの構造」という著書があるけれど、「きの構造」という本は1冊くらいしかない。

これだけ大切なものなのに、気の本質に迫る研究は不十分だ。
どなたか本格的に取り組んでいただけないだろうか?

|

« 「気」の周辺 | トップページ | 「き」と「いき」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「気」の周辺 | トップページ | 「き」と「いき」 »