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2013年10月25日 (金)

「き」と「いき」

九鬼周造の「いきの構造」は有名だけれど、「きの構造」という本はあるのかないのかよくわからない。
どなたか本格的に「気」の研究に取り組んでくれないものだろうか?

前回はそんな要望で終わった。

九鬼さんの「いき」は漢字表記をすれば「粋」だと思う。
私はこの「粋」はてっきり和語だと思っていたけれど、あらためて辞書を引いてみると「『意気』から転じた語」とある。

なんとルーツは漢語だったのだ。
こんなところにまで「気」の息がかかっていたとは!

日本語における「気」の存在の大きさに圧倒されてしまう。

ところで、2行上の「息」は「いき」と読む。
こっちは正真正銘の和語である。
「生きる」という動詞ともつながっている。

不思議なことに、「気」という字音語にも「呼吸」という意味がある。
前々回の「気」の語義一覧の5がそれにあたる。

また、「呼吸」からの連想で「生命の原動力となる勢い」という語義4も成立する。
ここまで来ると、「生きる」という和語と重なってくる。

逆に、「生」を「き」と読む場合がある。
日本酒の「生一本」と言ったり「生むすめ」と言ったりする。

九鬼さんの「粋」は漢語の「意気」から来たという。
その「意気」は和語の「息」と発音が同じだ。
発音だけでなく意味も通じ合っている。

「勝ってみせると息まく」という表現は「勝ってみせると意気まく」と表記しても通じるような気がする。
「意気」が上がると「息」も激しくなるのだ。

和語の「いき」と字音語の「気」。
出自はまるで違うのに、この符合は一体何だろう!

あるいは暗合というべきだろうか。

いずれにせよ、この事実には何か個別言語の違いを超えた次元における宿命的なつながりを感じる。

これだけのつながりがあったからこそ、「気」は字音語でありながら日本語の深奥部まで食い込み、その存在感を発揮することができたのだろう。

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