« 「ファザー」と「マザー」 | トップページ | 「気」の周辺 »

2013年10月 4日 (金)

親族と言語

「ちち」と「はは」、「ファザー」と「マザー」は協力して新しいものごとを生み出すことができる。
前回はそんなお話をした。

だから、「必要は発明の母である」と言ったり「近代医学の父だれそれ」と言ったりする。
日本語でも英語でも同じような言いかたをする。

しかし、肝心かなめのこの世の創造という栄誉に関しては、「ファザー」がひとり占めしてしまった。
神さまが「父」、「ファザー」と同一視されるゆえんである。

日本でも国土形成はイザナギとイザナミが協力して行ったのだ。
なぜ聖書の世界では「ファザー」のひとり占めが許されたのだろう?

一体いつから、どのようないきさつでキリスト教の唯一神と「ファザー」が一体化したのだろう?
それが分かれば三位一体論の謎を読み解くことができるかもしれない。

古代ギリシャ・ローマ時代は多神教の世界だった。
だから神々の間には夫婦、親子、兄弟などの親族関係があった。
人間と同じく系図を描くこともできるし、その関係を人間用の親族呼称であらわしても問題はなかった。
この点、日本の神さまと同じだった。

しかし多神教と一神教ではわけがちがう。
性を超越しているはずの唯一神が両性の片割れである「ファザー」と結びつくのは納得がいかない。

それともギリシャ・ローマ時代から受け継がれてきた「父」ということばそのものの中に、唯一神を重ね合わせることのできるからくりが仕組まれていたのだろうか?

親族は人間関係の中核である。
だから新約聖書の冒頭、マタイ福音書はアブラハムからイエスに至る系譜を長々と語る。
実は私もそうだけれど、あれで聖書に挫折する人は多い。

それはともかく、親族関係とそれをあらわすことばの間には何か深い秘密が潜んでいるような気がする。

そういえば人類学者のレヴィ・ストロースと言語学者のヤコブソンとはアメリカの大学でたがいに教え合う仲だったという。
レヴィ・ストロースはヤコブソンの音韻理論に着想を得て「親族の基本構造」を書いたのだ。

そんな大それたことが可能だとはとても思えないけれど、時間と空間を超えて親族と言語の間の関係を丹念に調べてみたい。
この世界の秘密を解き明かすために…。

|

« 「ファザー」と「マザー」 | トップページ | 「気」の周辺 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「ファザー」と「マザー」 | トップページ | 「気」の周辺 »