« 三位一体と言語(その4) | トップページ | 「ちち」と「ぢぢ」(その2) »

2013年8月16日 (金)

「ちち」と「ぢぢ」

三位一体論という難物を抱えていると、肩がこる。
私のようなものには荷が重いのだ。

そこでいったん三位一体論から離れてみたい。
離れた上で、「父」という日本語の親族呼称そのものに焦点を当ててみたい。

日本語には「父」の同義語がいくつかある。
たとえば、前回は「父」のかわりに「おやじ」を使ってはどうかとつたない提案をしてみた。
さらに、「お父さん」という標準的な言い方がある。

「ちち」
「おとうさん」
「おやじ」

現代日本語では、この3通りの言いかたが一般的に用いられている。
上記のバリエーションや方言も含めればさらに多いにちがいないが、当面この3つに絞ってみよう。

この3通りの言いかたは場面によって使い分けられている。
また、発話者の年齢によっても制限がある。
さらに、「おとうさん」と「おやじ」は相手への呼びかけに用いることができるけれども、「ちち」は呼びかけに使うことはできない。

こうした使用基準は日本語話者ならだれでも知っている。

女親についても、男親と同様の言いかたがある。

「はは」
「おかあさん」
「おふくろ」

「ちち」、「おとうさん」、「おやじ」という3通りの言いかたとみごとな対応関係が成立している。

ところが、世代をひとつさかのぼるとこの対応関係がなぜか破綻する。

「おとうさん」に対応するのは「おじいさん」であることはわかる。
しかし、「ちち」に対応するのは「ぢぢ」ではない。
「ちち」の位置にくるのは「祖父」という漢語である。

他人に向かって「私のおとうさんは…」というのは子供っぽいので使えない。
だから、この場合は「私のちちは…」となる。

同様に、他人に向かって「私のおじいさんは…」というのは子供っぽいので使えない。
だからといって、「私のぢぢは…」は不可である。
「私の祖父は…」と言わなければならない。

「ちち」と「ぢぢ」は音韻的には対応関係にある。
しかし、語用的にはまったく対応していない。

父親については「ちち」、「おとうさん」、「おやじ」という3通りの言いかたがあった。
いずれも和語である。

「父=ふ」という字音語は親族呼称には用いられない。
「父母」や「父系」など概念語としてしか用いられない。

しかし、世代をひとつさかのぼるだけで「祖父」という漢語が「ぢぢ」に代わって親族呼称として堂々と座を占めるようになる。

男親と女親という男女間で成立する対応関係が、なぜ世代の上下間で崩れるのだろう?

三位一体論という重い荷物をおろして気が楽になったせいか、ごくごく素朴な疑問が湧いてきてしまった。

|

« 三位一体と言語(その4) | トップページ | 「ちち」と「ぢぢ」(その2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 三位一体と言語(その4) | トップページ | 「ちち」と「ぢぢ」(その2) »