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2013年7月13日 (土)

意味の重さ

ことばには意味がある…。

岩波新書のしおりに記されたこのメッセージがくりかえし繰り返し呪文のように私の意識に押し寄せてくる。

そう、ことばには意味がある。

「ねこ」にも「さかな」にも「つくえ」にも意味がある。

見方を変えれば、「ねこ」や「さかな」や「つくえ」は意味を背負っている。

意味はことばにのしかかっている。
ことばはその意味の重さから決して逃れることはできない。

普通名詞はその重さにあえいでいるようにも見える。
窮屈に感じているかもしれない。気の毒である。

その点、固有名詞はやや違う。
たとえば、「すまー須磨」という地名は特定の意味を背負っていない。
意味の重さから解放されている。
その分、豊かな連想やさまざまな感覚と結びつくことができる。

「美恵子」さんという人名は、漢字表記するかぎり意味を背負っている。
つまり重い名前である。

「雅子」さんもそれなりに重い名前である。
「まさこ」とかな書きにすれば、その重さから逃れることができる。

すると今度はさまざまな連想が働きはじめる。
まさこ-政子-北条政子ー尼将軍ー男まさり…!?

もちろんこれは連想の一例に過ぎない。他にもさまざまな連想が可能だ。
意味の桎梏を逃れることで、そんな楽しみが生まれる。

さらに、「ユイカ」ちゃんという名前になるとまったく意味から自由である。
ここでは連想よりも感覚が主役である。
快い音感だけで成り立っている軽やかな名前である。

人の名前だから、重いからだめ軽いからいい、というわけじゃない。
重厚な意味を尊ぶか、軽快な音感や連想を好むかは人それぞれである。

きみは意味の欠如を嘆いているのかい、それとも意味からの自由を謳歌しているのかい?

そんなふうに、少し前に「須磨」にも問いただしたことがあった。
答えはまだもらっていない。

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