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2013年6月 2日 (日)

ことばと意味(その17)

地球上の生命は海で誕生したと言われている。

日本語の「海」が「産み」とつながっている事実はその間の事情をよくあらわしている。
ひょっとすると日本語は生命の秘密を直感的に知っていたのかもしれない。

ところで、生命をはぐくんだこの海は「いみ」の「うみ」だった可能性がある。

突拍子もない発想に聞こえるかもしれない。
しかし前々回お話しした直感による意味の了解という結論を正当化するためには、「意味の海」という概念を持ち出すしかないのだ。

直感という非言語的作用によってわたしたちは意味を了解する。
ことばはその作用がはたらきはじめるためのきっかけに過ぎない。

というのがそのときの証明抜きの結論だった。

それではあんまりなので、「意味の海」という概念を用いながら直感による意味了解のメカニズムを説明したい。

ことばと意味の関係について、ひとつの極にある考えが「無垢のことば」説である。

聖書冒頭に語られているように、宇宙開闢の時まずなにものにも依存しないピュアなことばが生じ、そのことばに内在する力によって万物が生まれ意味が成立したという説である。
これについては少し前にご紹介した。

そして、その対極にある考えが「意味の海」説である。

ことばが成立するはるか以前地球上の生命は海で誕生したのだけれど、その海にはすでにこの世界を成り立たせているあらゆる意味が満ちあふれていた。
そんな考えである。

だから、その海で生まれ成長した生命は、おのずから非言語的な直感によって意味を了解する能力を身につけることができた。
そして遅れて成立した言語は、その能力を発動させるための触媒の役目を果たすことになった。

「無垢のことば」説と「意味の海」説のどちらが正しいか?
にわかには判定できないけれど、ああでもないこうでもないと考えてみることは楽しい。

「かみ」と「いみ」のつながり。
そして、「いみ」と「うみ」のつながり。

ことばと意味の関係をめぐって悪戦苦闘する中で、思いもかけなかったつながりを発見できたことは大きな収穫だった。

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