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2013年5月27日 (月)

ことばと意味(その16)

前回はとうとう直感というウルトラCを持ちだしてしまった。

まっとうな思考の進め方という点からいえば、ルール違反だったかもしれない。
禁じ手だったかもしれない。

しかし、ことばと意味をめぐる思考の落とし穴あるいは袋小路から脱出するためにはやむを得ない跳躍だった。

という言い訳はさておき…。

よくよく考えてみれば、非言語的な意味の了解というアイデアもそれほど乱暴な解決策ではないかもしれない。

「ねえ、わたしたちって意味ということばをよく使うじゃない。でも、意味ということばの意味って何なの?」

かりにだれかからこんな質問を受けたとしよう。
あなたならどう答えるだろう?

「えっ、意味の意味?うーんと…」
そこで絶句してしまうのではないだろうか?

たしかにわたしたちは日常「意味」という語をしょっちゅう使っている。
ごく軽い気持ちで使っている。
それほどわたしたちに身近なことばだ。

しかし、「意味の意味とは何か?」という問いに答える心の準備などまるでできていないのだ。
だから、ついうろたえてしまう。

とりあえず必死に辞書の「意味」の項の記述を思い出そうとする。

「記号・表現によって表される内容またはメッセージ。特に言語表現によって表される内容」

たしかにそんなふうに記述されているけれども、こんなのが納得のいく答えになるとは思えない。
ただの言い換えであって、質問者ははぐらかされていると感じるだろう。
意図的に答えをそらせていると感じるだろう。
意味の意味がかえってわからなくなるだろう…。

かくして答えを求められた人は、困惑し苦悶する。
誠実に答えようとする人ほど苦しむ。

そしてあげくの果てに、「意味は意味だ!わかるだろ!」とかんしゃくを起してこの問答は決着がつくのだ。

そう、意味は意味。
それだけで人は直感的に「わかる」のだ。
苦しまぎれに回答者が発した叫びにはことばと意味に関する真理が含まれている。

実は、質問者にはそんなことはとっくにわかっていたのだ。
だからこれは一種のいじわる質問といっていい。

いじわる質問は一場の座興である。
その座興の根底に、問う人と答える人が共有する認識がある。

ことばの意味は非言語的な直感によって了解されるのだ、と。

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