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2013年5月 6日 (月)

ことばと意味(その13)

ことばと意味とは「持ちつ持たれつ」の関係にある。

前回はそんなふうに結論が落ち着いた。
大騒ぎしたわりには拍子抜けするほど平凡な結論だけれど、真実とは案外そんなものかもしれない。

それはそれとして、実はもうひとつ疑問がある。

ことばと意味はどちらが先に生まれたのか、という時間的な問題である。

こんな問いがナンセンスな愚問であることは猿でもわかる。
ではあるが、座興としては一考の余地がある。

「はじめにことばがあった」
ヨハネによる福音書にはそう記されている。

「光あれ!」
神さまがそうことばを発したとたん光が生まれた。
創世記にはそう記されている。

宇宙開闢のときすべてに先立ってことばがあり、ことばが世にあらわれることによって光そのほかの万物が生じた。
聖書の記述を素直に読めばそうなる。

その万物が意味の源泉だから、意味もまたことばによって生み出されたことになる。

ということは…。

始原のことばはまだ意味を伴わないピュアなことばだった。
なにものにもかかわりを持たない無垢のことばだった。
そして、そのことば自体に内在する力によって無の状態から万物が生まれ、意味が生まれた。

そう理解してよいのだろうか?

うーむ、究極の唯言論だ。
ことばの存在形式としては実にユニークだ。

これでは、ことばと意味とは「持ちつ持たれつ」の関係どころじゃない。
ことばは意味の母胎、意味よりもはるかにえらいのだ。
一時期、意味の前でのことばの無力、なんて言ってたのが寝言のように聞こえる。

ただし、これはキリスト教世界での言語観に基づいた考え方にすぎない。
世俗の常識で考えれば、ことばはやはり意味と手を携えてこの世にやってきたのだと思う。
これといって証拠はないが、そう思う。

何といってもことばと意味は「持ちつ持たれつ」なのだから。

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