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2013年5月20日 (月)

ことばと意味(その15)

いつまでも、意味の森のまわりをうろついている。

登山用語でいえば、リングワンデリングに陥っているのかもしれない。
知らず知らず同じところを堂々めぐりしている気がする。
前回自覚した落とし穴にはまっている証拠である。

ともあれ、森全体を見渡せる視界のきく場所に出なければならない。

意味とはことばとは別ものの「何か」である。
というのが、旅の出発点になったテーゼである。

ことばが単なる記号である以上、ことばすなわち意味であるはずがない。
したがって、このテーゼは証明不要の公理といっていい。

別ものである以上、意味はことばの外に存在している。
つまり、ここにことばがありあっちに意味がある。
ことばと意味の関係はそんなふうになっている。

このことばの意味はあっちにあります。
ことばはそうやって意味の存在を指し示している。

ことばの指示に従って、あっちに目をやるとそこにはたしかに意味が存在している。
しかしそこはもはや言語外の世界だから、ことばを用いて意味そのものをあらわすことは不可能だ。

ことばであらわすことはできないけれども、わたしたち人間はその超言語的存在を了解することができる。
人間にはそんなふしぎな能力が備わっている。

だからことばの意味が直感的にわかるのだ。

「このことばの意味はね、これこれこういうことなんだよ」
そんなふうにわたしたちは日頃よく言う。

しかし、これはことばを別のことばで言い換えたり、説明や解説をしているにすぎない。
決して意味そのものを明示したわけではない。

それでも「なるほどそういう意味だったのね」と納得してしまうのは、わたしたちの内部で「意味」をつかみ取る直感がひそかに働いているからだ。

たとえばわたしたちは「ねこ」という語の意味を知っている。
直感的に知っている。

「ねこ」ということばの意味は何か?

「うーんと、比較的小型の哺乳動物。家の中で寝てばかりいてさっぱり人間の役に立たない生き物。時々にゃあと鳴く。」

この回答は「ねこ」に関する説明あるいは描写の一例にすぎない。
「ねこ」ということばの「意味」にはほど遠い。

それでもわたしたちは「ねこ」をめぐる無数の説明を超えて、「ねこ」の意味にたどり着くことができる。

本当はここで直感というウルトラCを持ちだすのは、われながらずるいという気がしないではない。
しかし、こうでもしない限り落とし穴から抜け出せないという苦しい事情もお察しくださいね。

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