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2013年4月 7日 (日)

ことばと意味(その9)

ことばと意味はどんな関係にあるのか?

という問題については、前回お話しした通り撤退することが決まった。

ただし、撤退に当たっては置きみやげを残しておきたい。

「意味」とはことばとは別ものの「何か」であり、ことばをはるかに超えた「何か」である。
ことばにできることはその存在を暗示することであり、「意味」の前で際限なく言い換えを繰り返すことだけだ。

というのが私の幼稚な思考が一応たどり着いた結論である。
この結論を置きみやげとして、私はこの問題から撤退することになる。

意味がことばを超えた「何か」であるというのは、換言すればわたしたちは意味を認知することができない、意味にたどり着くことができないということである。

にもかかわらず、わたしたちは「意味」の実在を確信している。

だから「意味」ということばを頻繁に用いる。

「かれの言ったこと、どういう意味?」
「お前のやっていること、意味あるのか?」

わたしたちはたえず意味を求め、意味の不在や空白には耐えられない。

目にすることも手にすることも耳で聞くこともできないのに、その存在を確信している。
しかも、たえずそれを渇望している。

人間にとって、そんな存在は他にもあったような気がする。
そう、神さまだ。

意味について、前々回は別のたとえとしてエーテルを持ちだした。
エーテルもまた姿かたちは見えないけれど、わたしたちのまわりに臨在しているという点では神さまに似ている。

「いみ」と「かみ」はどこかで通じているような気がする。

だとすれば、私が苦しまぎれに意味を聖なる森のお社に祭り上げてしまったのも、あながち的外れの行為ではなかったかもしれない。

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