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2013年4月15日 (月)

ことばと意味(その10)

ことばと意味の関係について勇ましく切り込んではみたものの、早々と白旗をあげて撤退宣言を行うはめになってしまった。

にもかかわらず、いまだに意味の森の前でうろうろしている。
われながら未練がましいことである。

前回もお話ししたように、わたしたちは意味に執着することがはなはだしい。
何かといえば、「意味、意味」と口にする。

しかし、日本語の中で「意味」という語が今日のような形で用いられるようになったのはいつごろからだろう?
案外、歴史は浅いような気もする。

それはともかく、「意味」という語はいうまでもなく漢語である。

多くの漢語については、「調査するー調べる」、「宿泊するー泊る」のように対応する和語がある。
しかし、「意味」という漢語には対応する和語が存在しない。

「意味」という漢語を和語で言い換えることはできるだろうか?

「語の意味 そのことばが言いたいこと、そのことばが指し示すものごと」
「行動の意味 その行いのねうち」

ということになるのだろうか?

しかし、どうもしっくりこない。
やはり和語の体系の中には「意味」の概念が存在しないようだ。

つまり、いつのことか分からないが「意味」という漢語が大陸から渡ってくるまで、日本列島の古代人は「意味」が指し示す概念とは無縁の暮らしをしていたということだ。

それでも暮らしはちゃんと成り立っていた。
毎日、結構ごきげんに暮らしていた。

現代のわたしたちはくどいほど意味にこだわるけれど、往時の日本語話者たちは「無意味な」暮らしをエンジョイしていたわけである。

神話が伝えられていることから、「かみ」さまはいたに違いない。

「かみ」はあっても「いみ」のない生活…。

現代は逆に「いみ」はあっても「かみ」のない生活、ということになるのだろうか?

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