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2013年4月29日 (月)

ことばと意味(その12)

わたしたちには感知できないことながら、意味はエーテルのごとくこの世界に満ち満ちている。

そこにことばが登場して、天衣無縫の流体である意味のエーテルにせっせと切れ目を入れていく。

ひたすら分節に分節を繰り返して、その果てにようやくわたしたちがまともに暮らすことのできる意味空間が出来上がる。

前回の最後、こうしてことばの使命が明らかになった。

わたしたちが今きげんよく暮らしていけるのも、ことばたちが黙々と使命を果たしてくれたおかげなのだ。
ことばのみなさん、ありがとう!

ことばにできることは意味の存在を暗示することであり、その前で際限なく言い換えを繰り返すことだけだ…。
少し前、そんなふうにお話ししたことがあった。

この時は意味の核心にたどり着けないもどかしさから、ついついことばの無力さを嘆いてしまったのだ。
ことばには気の毒なことをしたと反省している。

冷静になって考えてみれば、ことばは決して無力ではなく意味に対して主体的、能動的に働きかけている。
結局のところ、ことばと意味の関係は「持ちつ持たれつ」なのだ。

ことばなくして意味はその存在をあらわすことができない。
また意味を示すことができなければ、ことばはそれこそ無意味な存在になる。

世の中にはこんな関係がよくある。
この分野でよく登場するシニフェちゃんとシニフィアン君の面妖な関係も、この「持ちつ持たれつ」のひとことで理解できる。

しかし、ことばと意味の関係を「持ちつ持たれつ」のひとことで片づけてしまうのは納得がいかない。
そうおっしゃる方も多いと思う。

ことばとは何か?
そして、ことばと意味が別ものだとすれば、意味とは何か?

「持ちつ持たれつ」はその肝心の問いに何も答えていない。
そうおっしゃる方も多いと思う。

ご意見ごもっともだけれども、ことばと意味とは相互に規定しあう関係にあるので一方だけの自立的な定義は不可能なのだ。
「持ちつ持たれつ」にはそういう含意もある。

という苦しい答弁でこの場は切り抜けたいのだが、いかがだろうか?

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コメント

はじめまして ブログ楽しく読ませていただきました。役立つ情報をありがとうございます

勉強になります

投稿: 只野剛 | 2013年5月 6日 (月) 17時01分

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