« ことばと意味(その6) | トップページ | ことばと意味(その8) »

2013年3月24日 (日)

ことばと意味(その7)

ことばの意味は聖なる森に住まいしている。
存在の気配とオーラはたしかに感じられる。

しかし、悲しいことにその姿をこの目この手でたしかめることはできない。

その存在を暗示すること。
別のことばで言い換えること。

ことばにとってできることはそこまでだ。

辞書はことばの意味のリストではない。
あれは、ことばの言い換え集にすぎない。
ことばの限界を超えることはついにできないのだ。

たしかに存在しているのに、つかみ取ることができない。
はがゆい、くやしい、じれったい!

そんな思いが、人々の意味への渇望を一層かきたてる。

わたしたちはことあるごとに、意味、意味と口にする。
しきりに意味をたしかめようとする。

意味がわからないと不安になる。
意味がないことには耐えられない。

記号ということばの本質からして、わたしたちは永遠に意味にたどり着くことができない。
意味への渇望はそんな予感の裏返しなのだ。

意味は神聖な森の奥に隠れ住んでいて、ご開帳はかなわない。
というのはもちろん比喩である。

だから別の比喩を用いれば少し心安らかになる。

本当は宇宙はエーテルのように意味であまねく満たされているのだ。
ことばにすることができないから、わたしたちには見ることも聞くこともつかみとることもできないだけである。

エーテルは流体だから、万が一意味の空白が生まれたらたちまちそれを見つけ出して意味で満たそうとするだろう。
わたしたちは安心していればいい。

ほら、あなたの前のその空間にも意味のエーテルが…。

|

« ことばと意味(その6) | トップページ | ことばと意味(その8) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ことばと意味(その6) | トップページ | ことばと意味(その8) »