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2013年2月18日 (月)

ことばと意味(その2)

人間はわりに信心深い生きものだから、「神さま」をあらわすことばはおそらくどの言語にもある。

前回お話ししたように、日本語ではそれを「かみ」と呼んだ。
漢字ではそれを「神」と書いた。
英語なら「GOD」とつづった。

クメール語なら、バスク語なら、ルーマニア語なら、ドイツ語ならどうだろう?

前回は「かみ」について日本語の枠の中だけで考えたけれど、世界の諸言語について比較してみるのもおもしろい。

それぞれの言語で「神さま」に当たる語彙は、どのように成立したのか?
またそれらはどのような意味内容を持っているのだろうか?

たとえば英語ならどうだろう?
犬が逆立ちをしたので神さまになった?
まさか!

それはともかく、日本語の「かみ」は英語では「GOD」と訳されるけれどもその意味するところはまるで違うと思う。

「GOD」なら、人々の理解も共感も絶した厳しい唯一神を思い浮かべるのだろうか?
日本語なら、海のかなたから宝船に乗ってにぎにぎしくやってくる連中もまた「かみ」である。

前回のテーマは日本語の音節資源の乏しさについてだった。
その結果として、必然的にひとつの語彙が多くの意味をカバーすることになる、多義的な語が多くなる、というお話だった。

「かみ」はその好例として持ち出したのだった。

「かみ」は「神」はもとより「髪」、「上」、「守」からなんと「紙」まであらわすことができる。

音節資源の豊かな英語なら、それぞれまったく異なる語彙が用意されている。
漢字という表意文字も、親切に「かみ」の多義的な意味を分割してくれる。

たしかにひとつの語彙が多くの意味をカバーするというのは、コミュニケーションの上で厄介なことではある。
英語や漢字のように、ひとつの語はできるだけ意味を細分化し限定するほうが望ましい、という考え方もある。

しかし、ひるがえって考えてみるに語の多義性は深い含蓄を有することでもある。
日本語の「かみ」は豊かな意味のふくらみを有することばといってもいい。

その「かみ」を切り刻むように分析し意味分割してしまうのは、何となく味気ない。

日本語の「かみ」がそうであるように、諸言語における「神さま」をあらわす語もそれぞれおもしろい特性を持っているにちがいない。

それはその言語を用いる人々の特性でもある。

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