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2013年2月24日 (日)

ことばと意味(その3)

前回とまったく同じ趣旨のことを別の表現であらわしてみたいと思う。

くりかえしお話ししているように日本語は音節資源に乏しい。
その当然の帰結として、多義的な語が多い、同音異義語が多い、という特性が生まれる。

紛らわしいことである。
コミュニケーションの手段としては欠陥言語ではないか、という説もある。

毎度例として登場してくる「かみ」は、「神」、「髪」、「上」、「守」から「紙」まで多様な意味を蔵している。

音節資源の豊富な英語やフランス語ならそれぞれまったく異なる音声記号で言い分けることができる。

漢字でも上の例のごとく、まったく異なる文字記号で書き分けることができる。
それぞれの漢字はそれぞれ異なる発音を有しているから、音声記号の点でも英語やフランス語と同じである。

これらの言語は、音声や文字によって世界をより細かく分節することができる。
わたしたちの生きる世界の意味をより限定的なことばで語ることができる。
つまり明晰に語ることができる。

うらやましいことである。
たとえて言えば、フランス語は水晶のような意味の結晶体である。

しかし、ことばは明晰であればいい、分節能力が高ければいい、というものでもあるまい。

世界がことばによって無残に細かく切り刻まれてしまう。
細切れになった意味のかけらのうずたかい集積…。

わたしたちの前にはそんな光景が広がっている。
日本語の視点からはそんなふうにも見える。

「かみ」は、「神」、「髪」、「上」、「守」から「紙」まで多様な意味を蔵している。
多様な意味を蔵したまま、人々の間を行き来する。

「話す」と「放す」も同じである。
漢字表記をしてしまうと、まったく別のことばに見える。

しかし、日本語では「はなす」なのだ。
日本語話者の意識の深層では、「話す」と「放す」はひとつに溶け合っている。

意味と意味の間の境界は定かではない。
そんなふくらみのある語彙が、人々の思考に厚みをもたらす。

たとえて言えば、日本語は花曇りの空を覆うやわらかい雲のような存在である。

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