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2013年2月 3日 (日)

「話す」と「語る」(その6)

本当にくどいようだけれど、「話す」と「語る」についてもうひとことだけ。

「このまえ、星新一の『ぼっこちゃん』読んだんだけど、とっても面白かったわ」
「それってどんなお話なの?」

もちろん『ぼっこちゃん』は本である。
文字言語で表現されている。

それなのに、「お話」という語が用いられる。

発話行為をあらわす動詞「話す」と「語る」は、いずれも名詞化して「話し」、「語り」に変化する。
しかし、そこに違いが生じる。

「語り」のほうは、名詞化しても発話行為ひいては音声言語とのつながりを失わない。
「かれの語りは本当に名人芸だね。聞いていてうっとりするよ」

これに対して「話し」は、冒頭の例のごとく発話行為や音声言語にこだわらない。
文字言語に対しても広く用いられる。

景気のいい作家が言う。
「この次はもっと面白い話を書いてやるぞ!」

「話し」を「書く」のだ。

「語り」と違ってなぜ「話し」は発話行為の枠を越え文字言語の領域にまで適用可能なのか?

ここは「話し」の原型である動詞「話す」の根本的な意味にさかのぼって考えてみたい。

これまでにお話ししたように、「話す」という動詞の根本的な意味は自分ひとりが抱え込んできたことばを公共空間に「放つ」ことである。
今ふうにいえば「発信する」ということだ。

大事なのは発信することばそのもの、表現の内容である。
表現の形式、つまり音声言語なのか文字言語なのかにはこだわらない。

これに対して、いつかもお話ししたように「語る」には演劇的性格がある。
そして演劇は形式そのものである。
だから、「語り」は本来の表現形式つまり音声言語から離れることができないのだ。

というのが私のつたない自問自答だけれど、まちがっていたら指摘してくださいね。

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